The Early Theories of British Painting
英国絵画初期理論
高倉 正行
1.序章
19世紀中葉、正確に言えば1848年、王立美術院付属絵画学校に籍を置く三人の若い画学生が中心になり、Pre-Raphaelite Brotherhood(『ラファエロ前派同胞団』)を結成した。彼らは自作の絵にP.R.B.と署名し、その秘密性を堅持しようとしたが、直ぐさま公に知られるところとなり、周囲の画家世界から批判を受けることになる。 彼らがなぜPre-Raphaelite
(ラファエロ前派)という名称を選択したかについては、その同胞団の一人、William Holman Huntが自叙伝の中で、ラファエロ作Cartoonsの前に立ったときに友人と行った話し合いに発端があると述べている。彼らはそれらの絵を高く評価したが、その数年後に描かれた彼の『キリストの変容』(1518-1520 fig.1)に移ると、彼等の論調は変化し、その絵が単純なる真実を無視していること、また使徒達の尊大な態度やキリストが霊的ならざる気取ったポーズで描かれていることを非難した。とりわけ、前景右側に描かれている、てんかんを起こしている少年の不自然な姿勢に非難が向けられた。
「僕たちの最終的な判断として、この絵はイタリア芸術のデカダンスへ注目すべき一歩を踏み出してい
る。」この考えを近くにいた他の画学生に話したところ、背理法として、「それじゃ君たちは、ラファエッ
ロ以前の画家たちだね」と言われ、ハントとミレー二人はその名称を受け入れることにした。※1
ハントはラファエッロ以降イタリア芸術が退廃したと述べ、それ以前の絵画に帰ることを主張しているわけだが、おそらく彼ら画学生は実際のラファエッロのフレスコ画を、いやそれ以前の絵を見たことがなかったと思われる。実物を見るにはイタリアに赴く以外にありえず、画学生の身分でそのようなことはできなかったはずだ。彼らが見たものはレプリカであり、彼らの念頭にあったものは王立美術院設立以来英国に蓄積され続けてきたイタリアおよびフランスの絵画論であったと思われる。その伝道者が王立美術院の初代院長であったサー・ジョシュア・レノルズであり、彼についてハントは次のように述べる。
もちろん我々には数人の途方もなく才能豊かな先達がいる。そして私は多くのそういった年配者の作品を好
み、彼らから多くのことを学ぶことができることを知っている。しかしながら英国学派は正確な筆捌きの
訓練を受けることなく前世紀に始まったという事実に、彼らは苦しんでいると私は思う。ジョシュア・レノ
ルズ卿は、英国絵画の出発点として最も輝かしい最高地点にあったイタリア学派を採用することが適切であ
ると考えた。彼自身人間性をよなく愛する画家にさせた忍耐強い訓練を、すでに彼は経験してきた。彼は
その途上で尽きることのない富を選び取り、その富を使うにあまりに性急すぎ、それをさせない絵の部分は
彼にとってはほとんど興味を与えるものではなかった。※2
上記の引用から英国学派の出発点にはジョシュア・レノルズ卿がいて、彼によって盛期ルネッサンスのイタリア絵画および絵画論が英国にもたらされたとハントは主張している。おそらくこの考えは王立美術院に所属している画家および画学生に共通した考えであったと思われる。それゆえ英国絵画の初期理論を研究するためには、王立美術院初代院長のジョシュア・レノルズ卿の絵画理論と、盛期ルネッサンスのイタリア絵画の何に彼は影響を受けたのかを調べてみる必要がある。以下にあげた論文は、レノルズ卿が王立美術院で行った講演を手がかりにして、英国絵画はその始まりにおいてイタリアおよびフランスからどのような影響を受けたのかについて私見を述べたものである。
1.Sir Joshua Reynolds 模倣・自然・理想美について
2.Sir Joshua Reynoldsのミケランジェロ再評価について
3.18世紀英国におけるRaphaelのCartoonsについて
4.ラファエッロ作Cartoons-ペトロ・サークル-の考察
5.ラファエッロ作Cartoons-パウロ・サークル-の考察
6.ラファエッロ作Christ's Charge to Peterにおけるローマカトリック的特色
imageを廻って
1 William Holman Hunt, Pre-Raphaelitism and the Pre-Raphaelite Brotherhood, pp.68-69 (1905)
2 ibid., p.82