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           ラファエッロ作 CARTOONS
                                               パウロ・サークルの考察
​                               
高倉 正行

                                                                                     Ⅰ.はじめに

 ラファエッロがシスティーナ礼拝堂に飾るタペストリーを依頼された時、その礼拝堂の天井にはすでに、『創世記』を主題にしたミケランジェロによるフレスコ画が描かれていた。また同礼拝堂の両壁第3層には、窓の間の空間に、歴代ローマ教皇の肖像が等身大で、第2層にはモーゼとキリストを主題にしたフレスコ画が、第1層にはダマスクのカーテンのフレスコ画が描かれていた。ラファエッロは教皇レオ10世の依頼を受け、システィーナ礼拝堂第1層の左右の壁を飾る10枚のタペストリー制作に、1515年から1516年にかけて取り掛かった。祭壇に向かって右側の壁には聖ペトロを主題にした4つのタペストリーが掛けられ、左側の壁には聖パウロを主題にした6つのタペストリーが掛けられた。『創世記』、モーゼとキリストの生涯、キリストの二大弟子ペトロとパウロを登場させることによって、システィーナ礼拝堂は、神、預言者、救済者キリスト、そして2人の使徒から連綿と続く教皇の正当性が確保さ れることになった。
 聖パウロを主題にしたタペストリーは、『使徒言行録』の出来事の順番に並べると、以下の通りである。

  The Stoning of Stephen(『ステファノへの投石』、Cartoonは現存せず)
  The Conversion of Saul(『サウロの回心』、Cartoonは現存せず)
  The Conversion of the Proconsul(『地方総督パウルスの回心』)
  The Sacrifice at Lystra(『リストラの犠牲』)
    Paul in Prison(『獄中のパウロ』、Cartoonは現存せず)
  Paul Preaching at Athens(『アテネにおけるパウロの伝道』)

 聖パウロを主題にしたCartoonsは、場景描写の点で聖ペトロを主題にした作品とは大きく異なる。それはこの2人の使徒が活躍した場所および彼らの役目が異なるからであり、聖ペトロはエルサレムのユダヤ教徒にたいして伝道し、一方聖パウロは古代ローマ・ヘレニズム文化の中で布教をした。『使徒言行録』6章1節には、エルサレムにおいて、ギリシア語を話すユダヤ人たちの(ヘレニスタイ)の中のイエス派の人たちとヘブライ語を話すユダヤ人たち(ヘブライオイ)の中のイエス派の人たちとの対立が述べられている。その対立においてイエス派のヘレニスタイであったステファノが登場する。彼がエルサレムの最高法院で行った演説が原因となり、彼の殺害が起こる。その結果、他の多くのヘレニスタイたちはエルサレムを離れ、フェニキア、キプロス、アンティオキアなどの各地へ逃れていく。このような状況の中で、サウロ(サウロはユダヤ名、パウロがギリシャ名)はヘレニスタイにたいする迫害者として登場する。
  
 
                                                   Ⅱ.The Stoning of Stephen『ステファノへの投石』(plate.1)*1

 The Stoning of StephenCartoonは現存しておらず、それゆえ本論において考察の対象外となるのであるが、パウロ・サークル全体を考える場合説明の必要があると思われるので、現存しているタペストリーからこの主題を考察してみたい。このタペストリーは祭壇の背後の壁に飾られたが、祭壇に向かって右側にはペトロ・サークルの最初のタペストリー『奇蹟の大漁』があり、左側にこのタペストリーが置かれた。両サークルの最初のタペストリーとして、この配置には意味があるように思われる。『奇蹟の大漁』ではペトロの入信が描かれ、一方、『ステファノへの投石』ではキリスト教信者最初の殉教者が描かれている。すなわちキリスト教徒としての生と死、あるいは入信と殉教とが対比されている。
 『使徒言行録』にステファノが初めて登場するのは6章1から6節で、ヘレニスタイとヘブライオイの両キリスト信者の対立がエルサレムで起きた時、12人の使徒たちは、やもめたちへの日常品を配給・監督し使徒を補佐する7人を選んだ。そのうちのひとりがステファノであった。

   そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、他にフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。                             『使徒言行録』(6.1~6.6)*2

さらにステファノの殉教に関しては、

   人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々が大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。                               『使徒言行録』(7.54~8.1)
 
 ペトロ・サークルの最後を飾るタペストリーはThe Death of Ananias(『アナニアの死』)であったが、『ステファノへの投石』はそれと関連がある。『アナニアの死』の出来事は信徒たちの共有財産の分配所で起こったことだが、上記に引用した『使徒言行録』から、ステファノは分配の責任者の1人に任命されていたからである。それゆえラファエッロは、ペトロ・サークルとパウロ・サークルを切断された主題としてではなく、連続した物語として成立させるために、この主題を選んだと思われる。
 ステファノはキリスト教徒の最初の殉教者であるので、ラファエッロ以前においても多くの画家達がこの主題を取り上げている。例えば、ラテラノ宮殿内ニコラス3世の至聖所(Sancta Sanctorum)に描かれた無名画家の作品(1278-79、fig.1)*3、サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ) のBernardo Daddi(1280-1348)作The Martyrdom of St. Stephen(1324、fig.2)*4、美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)所蔵のGentile da Fabriano (1370-1427)作The Stoning of St. Stephen(1423-1427、fig.3)、プラートのドゥオーモ付属美術館所蔵の Paolo Uccello (1397-1475)作The Stoning of St. Stephen(1435、fig.4)、Cappella Niccolinaの東側の壁を飾るFra Angelico(1395~1455)作The Stoning of St. Stephen(1447-49、fig.5)、Prato Cathedralの北側の壁にあるFra Filippo Lippi(1406-1469)作The Martyrdom of St. Stephen(1460、fig.6)等がそれであるが、これらの作品中特にラファエッロに影響を与えたと思われるラテラノ宮殿内ニコラス3世の至聖所に描かれた無名画家の作品(fig.1)、Fra Angelicoのフレスコ画(fig.5)、そしてFra Filippo Lippiによる同名のフレスコ画(fig.6)を比較してみたい。
 『使徒言行録』の「証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた」という視点から、ラファエッロの同作品と上記の3作品を比較すると、無名画家の作品では脱ぎ捨てられた衣服は画面左下にあり、それゆえサウロは最も左に描かれている人物であると思われる。フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピの作品では、衣服は足元になく、両腕でそれを抱えているサウロが描かれている。ラファエッロのタペストリーではサウロは画面右側にいて、衣服が置かれた岩や地面の上に腰かけている。このように衣服の位置に関して、『使徒言行録』の記述を離れ、画家達は自由に描いていたように思われる。ラファエッロによるタペストリーだけが衣服はサウロの体の下に敷かれているが、ここには、ステファノに向けられたサウロの両腕と同様に、改宗およびヘレニスタイの救済というテーマへの序章が窺える。
 ラファエッロ作『ステファノへの投石』のCartoonは現存していないが、その習作(fig.7)は存在している。背景は描かれておらず、登場人物のみ描かれたその下絵とタペストリーを比較してみると、いくつかの変更が加えられたことに気づかされる。下絵ではステファノは画面中央に位置しているが、タペストリーでは右にずらされ、サウロの体はステファノに向けられている。下絵のステファノの視線は画面中央上部に向いているが、そこに神とキリストを描き入れる空間はない。ステファノを左(タペストリーでは左右が逆になるので右にということになる)にずらし、石を集めている3人の人物を削除することによって、左上部の空の割れ目に神とキリストを描き入れたのである。さらに習作ではステファノは天上に向かって両手を合わしているが、タペストリーでは彼の両腕は八の字に広げられ、全身全霊を捧げる態度とも、またまるで投石者をかばっているかのような姿勢とも受け取れる。習作においてラファエッロは、先に挙げた他の画家による絵と同様に、両手を合わせた姿のステファノを描いたが、これは当初彼がステファノがキリストに祈る姿を重要視したからであろう。それをタペストリーでステファノの両腕を広げた姿に変更したのは、『使徒言行録』の「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」を後に重要視したからであると思われる。また習作ではサウロの姿勢も投石者の方向に向けられており、彼の腕も右腕しかステファノに向けられていない。一方タペストリーでは彼はステファノを向き、その両腕はステファノの方向へと差し出されている。これらの変更は、ステファノへの投石のみならず、次のタペストリーである『サウロの回心』への序章となっているように思われる。
 さらにステファノが跪く姿は、ペトロ・サークルの最初のタペストリーと関係がある。両サークルの最初のタペストリーはシスティーナ礼拝堂の祭壇背後の壁に飾られ、右側にはペトロの入信を主題にした『奇蹟の大漁』が、左側には『ステファノへの投石』が掛けられたことは前に述べたとおりだが、『奇蹟の大漁』には小舟の中で両手を合わせキリストに向かって跪いているペトロ、『ステファノへの投石』には同様に跪くステファノがいる。すなわちシスティーナ礼拝堂に入堂した人々は真正面にキリストに向かって跪く2人の聖人を目にすることになる。

                                                          Ⅲ.The Conversion of Saul『サウロの回心』(plate.2)

 先のCartoon同様、このCartoonも現存していないので、後代に織られたタペストリーを参考にして考察してみよう。
 キリストの信徒たちを迫害していたサウロ(パウロ)は、ダマスコに向かう途上、天の雲の割れ目から現れたキリストと神によって盲目にされる。この場面は以下のように述べられている。

   さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。                             『使徒言行録』(9.1~9.19)

 この場面は『ステファノへの投石』と同様に大地の上で起こるが、両タペストリーの大地は非常によく似ている。祭壇の壁に掛けられた『ステファノへの投石』の画面左側にはステファノに投石するキリスト信者でないヘレニスタイ達がいる。『サウロの回心』は祭壇に向かって左の壁の最初に掛けられたが、その画面の右側にはサウロとともにキリストの信者たちを迫害する馬上のヘレニスタイ達が描かれている。両タペストリーは祭壇背後の壁と左側の壁90度の角度で接し(fig.8)*5、その接点にキリスト信者を迫害するヘレニスタイの集団が位置することになる。両タペストリーの迫害者の位置には、ステファノの殉教とサウロの回心を連続した場面にするラファエッロの意図があったと思われる。この連続性はペトロ・サークルにおいても同様に見られた。祭壇背後の壁の右端に掛けられたそのサークルの最初のタペストリー『奇蹟の大漁』において、キリストが腰掛けていた小舟の舳先は、その壁と90度で接する右側の壁に掛けられた次のタペストリー『キリストのペトロへの啓示』の左端に現れ、両タペストリーの連続性を表していたからである。
 ペトロ・サークルの最初を飾るペトロの入信を描いた『奇蹟の大漁』と同様に、『サウロの回心』にもラファエッロ以前に描かれた同じ主題の多くの絵がある。その多くは聖書の挿絵として描かれたが、作品として独立した絵のものもある。それらは、イタリアのロレートにあるSantunario della Santa Casa(サントゥナリオ・デッラ・サンタ・カーザ)のアーチ型天井に描かれたLuca Signorelli(ルカ・シニョレッリ、1445-1523)作The Conversion of Paul(fig.9、1477-82)、ペーサロの祭壇(Pesaro Altarpiece)を飾るGiovanni Bellini(ジョヴァンニ・ベリーニ)の同名作品(fig.10、1472)などである。どちらの絵も同じ年代に描かれ、構図は基本的に同じである。画面上部左右の違いはあるが、双方とも空の割れ目からキリストが現れ、光を放ち、眩しさゆえにサウロは落馬し地面に尻も落ちをついている場面が描かれている。これらの絵とラファエッロのタペストリーとを比較してみると、タペストリーでは、キリストは画面中央の上部に現れている。これは先ほど述べたように、最初のタペストリーとの連続性を与えるために右端にキリスト信者を迫害するヘブライオイの集団を描き入れることによって、中央に動かさざるを得なかったためだと思われる。この連続性は、ステファノへの投石が切っ掛けとなり逃げ出さざるを得なかったヘレニスタイのキリスト信者を、画面の左側に描き入れることによって、さらに強められる。

                                                Ⅳ.  The Conversion of the Proconsul『地方総督パウルスの回心』(plate.3)
 
 聖書によれば、聖パウロは終生3度伝道の旅に出かけたが、このCartoonの主題は第1回目の旅における最初の奇蹟であり、その主題は次のように述べられている。

   聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向けて船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。魔術師エリマ(彼の名前は魔術師という意味である)は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは主のまっすぐな道をどうしてゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。                                     『使徒言行録』(13.6~13.12)

 アンティオキアの教会で、バルナバとパウロは、聖霊により伝道の旅に出かけるように命じられる。キプロス島のサラミスに到着したとき、そこの地方総督であったセルギウス・パウルスに招かれて、神の言葉を語る。パウルスと交際していた魔術師エリマは、パウロの言葉を遮り、神の言葉から遠ざけようとした。そこでパウロはエリマを盲目にする。この場面を描いたCartoonは、英国ではElymas the sorcerer(Struck with Blindness)と名づけられていた。*6 18、19世紀の英国において、この絵は題名が示すところから判断すれば、地方総督の回心ではなくエリマの盲目を主題にしていると理解されていたように思われる。1860年に出版されたExpositions of the Cartoons of Raphael の著者Richard Henry Smith, Jun.は唯一台座に彫られたラテン語を重要視し、このCartoonを"The Conversion of Sergius Paulus"と名付けた。
 『地方総督パウルスの回心』のCartoonは、ある意味、10枚のタペストリーの中で特異な存在であるといえる。というのも、ラファエッロが描いたCartoonsの中で、文字が描かれているのはこの絵だけであるからだ。このことに気づけば、当然次の疑問が浮かんでくる。なぜラファエッロはこの絵にだけ文字を描きこんだのか。台座には下記の文字が描かれている。

  L. SERGIVS PAVLLVS ASIAE PROCOS:CHRISTIANAM FIDEM AMPLECTITVR. SAVLI PREDICATIONE
  (アジアの地方総督、ルキウス・セルギウス・パウルスは、サウロの教えを通じてキリスト教に改宗する)

 このタペストリーがシスティーナ礼拝堂に飾られた時、この碑文はちょうど人の視線の高さにあり、見る者は全体の構図よりも先にこの碑文に気づき、このタペストリーの主題を察知したはずである。それゆえラファエッロは、このタペストリーの主題をエリマの盲目でもパウロの布教でもなく、パウルスの回心に置きたかったのではないかと考えられる。
 この絵の中央に幾段かの高い台座があり、そこに設えられた椅子に主要人物が座り、また前景の両脇に人物が立っているが、こうした構図は別段新しいものではなく、ラファエッロ以前においてもDomenico Ghirlandaio(1449年-1494年)のSaint Francis of Assisi before the Sultan, ordeal by fire(fig.11、1483-85)やSebastiano del Piombo (1485-1547)のThe Judgment of Solomon(fig.12、1508-10 )などに同様のものが見られる。このCartoonもそうした配置になっており、Kleinbubはこの絵の全体的構図をX字形であると指摘している*7。彼の主張するように、確かに画面左の聖パウロの頭上の柱頭からリクトル、パウルス、エリマへと右下に流れる斜線と、聖パウロの差し出された右手からパウルス、その左側の男性、そして彼の左側にある柱の影の線へと流れる右上がりの斜線は、パウルスで交わり、X字形を形作っている。しかし主題的観点からすれば、聖パウロ、パウルス、そしてエリマの3名を頂点とし、その内部に台座の碑文を含む三角形構図になっている。それゆえこのCartoonを各々頂点をなす3つの部分に分けて、考察することにしよう。
 まず聖パウロを中心にした部分であるが、これは聖パウロ、聖バルナバ、およびリクトルの背後にいる3人の人物で成り立っている。聖パウロの顔は、ペトロ・サークルの中のキリストの横顔と同じく、スルタン・バヤジト2世がローマ教皇インノケンティウス3世に贈ったとされるカメオに由来すると思われる。現物は存在していないが、そのカメオをもとにして15世紀の終わりに多くの青銅製メダリオンが複製され、その一つが英国博物館に所蔵*8されている。このメダリオンの表にはキリストの横顔が、そして裏には聖パウロの横顔(fig.13)が彫られ、パウロの髭の生え方とうなじの髪が似ていることから、ラファエッロはこのメダリオンをもとにパウロの顔を描いたと思われる。さらに聖パウロの直立の姿勢に関して、英国王立美術院初代院長のSir Joshua ReynoldsはBrancacci Chapelのフレスコ画に由来するのではないかと推察*9している。それはFilippino Lippi (1459–1504、fig.14) によるフレスコ画であり、このフレスコ画は聖パウロと聖ぺトロの違いはあるものの、画中の聖人は直立で、右腕を伸ばし、長衣を左肩で留めるといった同様の姿勢で描かれている。これをラファエッロのCartoonと比較してみると、直立で、右腕を伸ばし、右足を左足より一歩前(Filippino Lippiの作品は両足をそろえている)に置くといった姿勢は類似している。しかし、Cartoonの聖パウロは長衣を右肩で止めていて、彼の伸ばした右腕を肩から手首まで長衣の裾が覆っているという相違点もある。ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画を熟知していたラファエッロは、なぜこのような変更を加えたのであろうか。おそらくこれは右腕を覆っている長衣の赤色と関係があり、彼の指先の方向にいるパウルスの長衣の赤褐色の色へと見る者の視線を誘導する力を強めるために、このような変更を加えたのではなかろうか。
 さらにCartoonの聖パウロは左手で一冊の書物を抱えており、これは布教が終わったことを暗示しているのであろう。聖パウロの背後にはバルナバがいて、両手を合わし、天の方向を見つめ、パウロが行った奇蹟が神の行いであることを示している。下段のリクトルの肩越しに覗き込んでいる人物はヨハネ・マルコと思われる。彼は2人の聖人の付き添いで、旅の途中でアンティオキアに帰ってしまい、そのことが原因で2度目の伝道旅行ではパウロとバルナバは別行動をとることになる。その後ろには帽子をかぶり前方を見つめている人物と後頭部だけを覗かせている人物がいるが、これらはおそらくパウルスの従者と思われる。
 次に画面中央および階段に立つ人物を見てみよう。中央の台座にしつらえた座席に座っているのは、地方総督パウルスである。月桂樹の冠、トーガ、脚にひもを巻き付けて止めるサンダルなど、典型的なローマの要人の姿で描かれている。両手を開き、左足を突き出し、怪訝な表情でエリマを見つめる姿勢は、驚きのあまり後ずさりしているように感じられる。『使徒言行録』にはバルナバ、サウロ、パウルスとエリマ以外の人物は登場しておらず、他の人物はすべてラファエッロの創作によるものである。パウルスの右側の階段にいる2人の人物はリクトルであり、その名前はラテン語のligare(縛りつけるの意)に由来する。これは一説*10によると、彼らが肩に抱えているファスケス(束桿斧(そくかんふ):細い木を数十本束ね、そこに斧が仕込んである)から来ている。彼らの任務は第一に執政官の擁護、第二に罪人の逮捕と処罰、第三に古代ローマの炉の女神であるVestal Virginの擁護であった。また彼らは宗教的役目も担っており、生贄の儀式において神官に仕えた。彼ら二人の視線はエリマではなく、画面右の動揺している人々に向けられており、地方総督を守ろうとしているかのようである。パウルスの左手にいて体を大きく捩じり、後方の青年に語り掛けているのは、おそらくパウルスの部下で、エリマの盲目の不可思議さを語っていると思われる。
 次は画面右側のエリマを含む集団に目を向けてみよう。エリマは盲目となり、両腕を前方に突き出し、『使徒言行録』にあるように、「だれか手を引いてくれる人を探し」ているようである。彼の両手は力なく宙を漂っている。彼をのぞき込む男性は、両手を開き驚きを表している。エリマと同じような種類の靴を履いていることから、おそらく彼の弟子と思われ、エリマが求めているのはその弟子であろう。エリマの盲目はパウロとの関係を深める。というのも、パウロ(サウロ)自身も直前のCartoon『サウロの回心』で示されているように盲目となり、3日後見えるようになって回心したからである。同じようにエリマも「時が来るまで日の光を見ないだろう」の言葉から、回心の可能性が窺える。これは、エリマの頼りない右足がパウロの方向へ、すなわちパウロの背後から射す光に向かっていることによって表現されている。つまりこのCartoonではパウロ自身に起こったことがパウルス(回心)とエリマ(盲目)に分離されて表現されていると考えられる。エリマの背後の女性は、おそらく彼の妻であろう。彼女は左側に立つ2人の男性に、夫を盲目にしたのはパウロであると指さし、非難している。
 『地方総督パウルスの回心』のタペストリーと現存しているCartoonsを比較すると、大きく異なる点がある。それはCartoonには描かれていないが、タペストリーには織り込まれている聖パウロの背後に存在する角柱である。マントヴァのドゥカーレ宮殿所蔵の16世紀中葉にJan van Tiegenの工房で織られたタペストリー(fig.15)、およびイギリスのモートレイク・タペストリー工房で17世紀初頭に織られたタペストリー(fig.16)には角柱があり、それらの角柱には3層に分かれた像(fig.17)が織り込まれている。後者のタペストリーは損傷が激しいばかりでなく、技術的に劣っているように思われるが、これは前者より数十年後に織られているので、模倣元のタペストリーが不完全であったか、もしくはモートレイク・タペストリー工房の技術が劣っていたせいかもしれない。
 ここで問題となるのが、Cartoonにないものがなぜタペストリーにはあるのか、あるいはタペストリーにあるものがなぜCartoonにはないのか、ということである。この2つの問いからは異なる答えが導き出せる。前者の問いからは、ラファエッロが実際に描いたCartoonにないものを織師ピエター・ファン・アールストが彼の工房で織り込んだという推論が成り立ち、後者の問いからは、1メートル間隔で裁断される前のCartoonにはその角柱が描かれていたが、その後その部分だけが廃棄されてしまったという推論が成り立つ。これらの答えの判断にヒントを与えてくれるものが2つあるように思われる。
 一つはラファエッロのタペストリーが飾られたシスティーナ礼拝堂の左右の壁の構造である。祭壇に向かって右の壁にはペトロ・サークルのタペストリーが飾られたが、その最後の『アナニアの死』の次の空間にはcartoria(聖歌隊席)が突き出ており、この空間が左の壁の長さに比べ、右の壁の長さをより狭くしていたのである(fig.8)。つまり左のパウロ・サークルのタペストリーが掛けられた壁は右の壁よりも約1メートル長く、右の聖歌隊席のこの部分に該当する左の壁に、他のタペストリーとは大きさが極端に異なる幅約1メートルの『獄中のパウロ』のタペストリーが飾られたのである。この左の壁を飾る『地方総督パウルスの回心』に角柱が織り込まれていなければ、左右の壁を飾るタペストリーの対称性が崩れてしまうことになる。当然ラファエッロはこのことを熟知していたはずであり、このタペストリーのCartoonには角柱が描かれていたことになる。この推論に立てば、ピエター・ファン・アールストの工房でタペストリーを織るときに1メートル間隔で裁断されたこのCartoonの最も左の角柱の部分が廃棄されてしまったということになろう。
 さらに主題の観点から角柱の存在の必要性を述べてみよう。マントヴァ・タペストリーがラファエッロの意図したタペストリーに時代的に最も近いので、そのタペストリーの角柱を取り上げてみることにする。この角柱の上層部の女神像にはなんらアトリビュートが添えられておらず、したがって特定できない。しかしShearmanが指摘*11しているように、それは「ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)」のフレスコ画を支えるように置かれたいくつかのギリシャの女神像(fig.18)にきわめて類似している。それゆえその像はラファエッロが「ヘリオドロスの間」の内装装飾を依頼された時に考案した女神像の一つ(fig.19)*12と思われる。中層部には波とヒッポカムポスがあることからギリシャ神話のトリートーンがネーレーイスを奪う戦いが、下層部にはブドウの房を腰に巻いていることから、一対のバックス神とその間に円形のエンブレム(fig.20)が描かれていると推測される。このエンブレムは古代ローマの硬貨であると思われる。Shearmanはこの硬貨をコンモドゥス(Lucius Aurelius Commodus Antoninus, 161-192)のセステルスと指摘している。確かにその時代の硬貨を調べてみると、コンモドゥスの妻であるブルッティア・クリスピナを象った硬貨(fig.21)が散見される。硬貨の裏面には椅子に腰かけ蛇にえさを与えている女性像がが彫られ、おそらくこの女性は医神アスクレーピオスの娘でヒュギエイア(Hygieia)と思われる。このギリシャ名は英語のhygiene(健康、衛生)の語源となった言葉で、ローマ神話ではSalus(英語のsalvationの語源)となる。この観点から、Kleinbubはこの硬貨を「救済」のシンボルの意味に取り、『地方総督パウルスの回心』のCartoonにおいて画面左下から右上へと射す光源と解釈している。*13しかしこのように解釈するには、この硬貨の存在は構図上弱すぎるように思われるし、さらに古代ローマ文化を象徴する硬貨がキリストの救済を暗示しているとは考え難い。それよりも、これら3層に描かれた内容はすべて古代ローマ・ヘレニズム文化を表すものであり、したがってこの角柱はそれを視覚的に明確化するために描き入れたと考えるほうが理に適っている。このCartoon以後の作品には古代ローマ・ヘレニズム文化を表す様々なものが描かれているが、この絵ではこの角柱がその文化の表象となっていると考えられる。聖人として初めて登場するこのCartoonでは、パウロの役割、つまり、キリストの言葉、「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(『使徒言行録』、9.15)を明視化するために、この角柱の存在が必要であったと考えられる。

                                                       Ⅴ.  The Sacrifice at Lystra『リストラの犠牲』(plate.4)

 先のCartoon同様に、これは1度目の伝道の旅の途上での出来事であり、パウロ2度目の奇蹟がその地の群集にもたらした影響を描いたものである。キプロスで最初の奇蹟(エリマの盲目)を行った後、その足でバルナバとパウロはリカオニア地方のリストラに旅立ち、その地で生まれつき足の不自由な人を直す奇蹟を行う。リストラの人々は彼らをローマの神であると思い、彼らにたいし生贄の儀式を行う。その出来事は次のように述べられている。

   群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中に飛び込んで行き、叫んで言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを作られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、なたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。                       『使徒言行録』(14.11~14.18)

 リストラでの奇蹟に驚いた人々は、パウロとバルナバを神だと思い、彼らに捧げものを持っていき、2人の前で儀式を行おうとする。この場面には古代ギリシャ・ローマの儀式が描かれており、この絵を理解するうえでその執り行い方を知ることは重要である。画面右から左へと流れる人々の動きは、背後の建物から急ぎ出てきて急に立ち止まった*14 聖パウロで止まる。右端に描かれている屈みこむ老人の前で、パウロに向かって両手を合わせている人物は、彼の足もとに2本の杖と足を縛る紐が置かれていることから判断して、この場面の直前にパウロによって不自由な足を直された当人と思われる。屈み裾をつまみ上げている老人は、快癒が事実であるかを確認しているのであろう。この2人の人物はこの場面の直前の過去の奇蹟を表すために描かれている。そのほかにも過去の出来事を表すために描きいれられた人物がいる。振り下ろされる斧の下の柱と石像の背後に隠れている2人の人物は、バルナバとパウロが逃げてきたイコニオンの町の迫害者(『使徒言行録』14.1-7)であると思われる。しかし、描かれているのは過去の出来事ばかりではない。たとえば、足の治った男性の前に、振り下ろされようとしている斧を止めようとして、左腕を前に突き出している若者がいるが、彼の存在は『使徒言行録』のこの場面には登場していない。ラファエッロはCartoonsを描くにあたって、空間的にも時間的にも『使徒言行録』のその場面には記述がない事物を描きこむことによって、Cartoonsを豊かなシンボルに満ちた物語絵にさせているのである。その観点からこの若者の存在を考察すると、彼は時間的に後の2度目の伝道旅行に登場するテモテ(パウロの書簡の『テモテへの手紙』の当人)ではないかと思われる。
 パウロの2度目の伝道旅行において、『使徒言行録』(16.1-5)には、「パウロは、デルベにもリストラ行った。そこに、信者のユダヤ人婦人の子で、ギリシャ人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。」、という記述がある。テモテは2度目の伝道旅行でパウロに同行するのであるから、1度目の旅行のこの場面に、彼が名の知られていない信者として登場していても不思議ではない。彼がテモテだとすれば、画面の右端の両手を合わせている夫人が彼の母親であり、裾をつまみ上げている古代ギリシャ風の服装をしている男性は彼の父親であるかもしれない。
 この絵の中心主題である生贄の儀式に目を向けてみよう。この画面には雄牛を連れてくる者、押さえつける者、斧をふるう者、そして祭儀を司る神官が描かれている。古代ローマ・ヘレニズム文化において画中の儀式は一般的なものであり、それゆえ、この儀式を描いた数多くの遺物が現存している。例えば、紀元前42年に建てられたといわれている復讐者マルス神殿(Temple of Mars Ultor)のレリーフ(fig.22)、紀元30年ごろ造られたと思われるティベリウスのカップ(fig.23)、紀元81年頃に作られたベネヴェントのトラヤヌスの凱旋門(Arch of Trajan)のレリーフ(fig.24)、紀元203年に建てられたセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arch of Septimius Severus)のレリーフ(fig.25)、ウフィツィ美術館所蔵の制作年代不明のサルコファガス(fig.26、石棺の彫刻)などがそれである。復讐者マルス神殿のレリーフは斧を振り下ろす人物が破損しているものの、これら5作品の生贄の儀式は似通っている。特に、首を押さえつけられた雄牛は同じ姿で彫られている。神への生贄の儀式は、神にたいする畏怖の念を表現するだけのものではなく、吉凶を占う儀式でもあり、正式な順序で行われなければならなかった。儀式は次のように進行する。

   儀式は静粛の呼びかけで始まった。唯一の音は笛の音であった。それは好ましくない音(凶兆と考えられた)を掻き消すためのものであった。祭司もしくは司式者はトーガの襞で頭を覆い、生贄の頭部にワインを注ぎ、その背部にモラ・サルサ(砕いたエンマー小麦と塩を混ぜたもの)を振りかけ、最後に生贄用のナイフで生贄の脊骨の上を擦った。この時に祈りが上げられ、その生贄の動物を人から神の所有物にした。斧を持った男性が生贄の頭の後部に一撃を加えた。その動物が地面に倒れると、ナイフを持った男性はその喉を切り裂いた。
   その後その動物は解体され、その腸は腸卜者によって調べられた。吉兆ならば、儀式は調理へと進み、供物台で焼かれて神に捧げられた。そのほかの部分もまた調理され、儀式の参加者たちに配られた。*15

 笛(G. aulos、L. tibia)を吹くものはaulete(G.)もしくはtibicen(L.)、神々に仕える祭司または司式者は神官(Flamen)と呼ばれ、15人いたと云われている。その儀式は、そのうち主だった3人の大神官、すなわち、Flamen Dialis(ジュピターの神官)、Flamen Martialis(マルスの神官)、そしてFlamen Quirinalis(クイリヌスの神官)によって行われた。ちなみに斧を持った男性はpopaで、その一撃で倒れた雄牛の喉を切り裂く男性はcultarius、腸卜を行う男性はharuspexであり、(また上記の引用文には登場していないが、)生贄の動物(probatio victimae)を式場へ連れてくる役目の男性はvictimarii(雄牛の場合一頭につき2人)である。
 ラファエッロの『リストラの犠牲』で生贄の儀式に関わる登場人物のうち、最も目を引き付けるのは、斧を大きく振りかざし、雄牛に一撃を加えようとしているpopaであろう。彼の下で、左角と口を持ち、雄牛を押さえつけているのは、腰のベルトに生贄を切り裂くナイフをつけていることからcultrariusであることがわかる。彼の背後にいる2人の人物は、月桂樹の冠をかぶっていることから、雄牛を式場へと連れてきたvictimariiであり、後続の雄牛にも2人のvictimariiが描かれている。屠殺後供物台(porricere)で取り出された雄牛の内臓が調理されるのだが、その前に香が焚かれ、そこには香箱を持ち笛を吹いている2人の子供がいる。雄牛の背後にいる頭巾を被った3人の男性は大神官で、最も右にいる頭にバンドを巻いた神官はFlamen Dialis、その左の赤い頭巾の人物はFlamen Martialis、その背後の顔だけのぞかせている神官はFlamen Quirinalisと思われる。最も左にいる女性については、3人の神官の妻あるいは娘であると主張している批評家*16 もいる。しかしその解釈は合理性を欠く。供物台には炎が燃えており、これが消えてしまうことは凶兆であると考えられていたので、むしろ火床の神ウェスタに仕えるウェスタの処女(Vestal Virgin)であると考えるほうが理に適っている。彼女の背後の円形の建物の2階には、欄干に肘をつき下をのぞき込む人物がいる。画面左にも生贄の羊を連れてきたvictimarius(単数形)がいるが、生贄となった動物は牛と羊以外に豚の場合もあった。
 『使徒言行録』にあるように、リストラの人々はバルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼んだのだが、ヘルメスはゼウスの使いであって、それゆえリストラの人々が生贄を捧げる神は第一にゼウスことバルナバであろう。しかしラファエッロはパウロを光の当たる前に置き、バルナバを建物の入り口の陰の中に立たせることによって、パウロの存在を際だたせている。また、斧を振り上げるpopaの奥には、アポロンから得た牛追い用の黄金の杖を持ち、翼の生えた帽子とサンダルを身に着けているヘルメス像があり、ヘルメスことパウロの存在を強調している。

                                                                           Ⅵ. Paul in Prison『獄中のパウロ』(plate.5

 この場面には2度目の伝道旅行で牢獄から抜け出すパウロの姿が描かれている。パウロとバルナバは、エルサレムの使徒会議の決議を経てアンティオキア教会に派遣される。そこでの用事を済ませ、2人は2度目の伝道旅行に出かけることになるのだが、先に述べた1度目の伝道旅行で登場したマルコの同行をめぐって対立し、2人は物別れとなる。パウロはエルサレム教会から連れてきたシラスとともに、シリア州やキリキア州へと旅立ち、途中リストラで信者のテモテを同伴し、3人でマケドニア州フィリピへと向かう。しかし、その地で占いの霊に取りつかれた女奴隷の主人に訴えられ、パウロとシラスは捕えられてむち打ちの刑を受けたのち、投獄される。牢獄での状況は次のように述べられている。

   真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外に連れ出して言った。    『使徒言行録』(16.25~16.30)

 『獄中のパウロ』のCartoonは現存していないので、そのタペストリーから考察することにしよう。10点のタペストリーのうち、他の作品と比べ、この作品だけが非常に小さく、幅約1メートルである。この小ささは、システィーナ礼拝堂の構造による。fig.8より祭壇に向かって右側の壁にはペトロを主題にしたタペストリーが飾られたが、その最後のタペストリーである『アナニアの死』の次の空間にはCantoria(聖歌隊の場所)が置かれ、その分長くなった左の壁を飾るために幅約1メートルの『獄中のパウロ』が織られたと考えられる。このタペストリーには4人の人物が織り込まれている。獄中のパウロ、その外にはテモテとシラスがいるが、『使徒言行録』にしたがえば、シラスはパウロと同様に牢の中にいなければならない。ラファエッロがなぜこのような変更を加えたのか判然としないが、牢の大きさを考えればその中に2人を描き込むことは難しいと考えたのではなかろうか。タペストリーの下の部分には大きな人物がいるが、これは大地震を擬人化したものであろう。
 この擬人化された人物に関しては、ラファエッロによる習作が現存している(fig.27)。*17 両腕の位置および表情は非常によく似ているが、両手で握られているマントのような布はタペストリーでは省略されている。この擬人化はヴィラ・メディチ(Villa Medici)にあるJudgement of Parisのレリーフに彫られたローマ神話に登場するCoelus(Caelus、天空神)もしくはギリシャ神話のOuranosからイメージされたものであると、Shearmanは断定している*18。しかしこれはコンスタンティヌス1世の護衛隊長官であったユニウス・バッスス (Junius Annius Bassus:在位318-331)の石棺に彫られたレリーフ(fig.28)から来ている可能性が高い。というのも、この石棺は元は旧サンピエトロ大聖堂(Old Saint Peter's Basilica)にあり、ラファエッロはこの大聖堂を熟知していたからである。このレリーフにはキリストが聖パウロと聖ぺトロに法を授与(traditio legis)している場面が彫られており、キリストの足の下には天空神Coelusがいる。彼は両手で布を頭の上に広げているが、おそらくこれは天空を表しているのであろう。ラファエッロの習作は、このレリーフを模倣した可能性が高い。タペストリーにこれを利用するにあたって、ラファエッロは天空を表す布を省略した。しかしそれゆえに、擬人化された地震は両腕で地面を持ち上げているかのような効果を与えている。
 タペストリー『獄中のパウロ』は、システィーナ礼拝堂に飾られたラファエッロの10作品のなかで最も幅が狭い。先に述べたように、これは礼拝堂の内装に原因があるのだが、それだけではなく織り込まれた内容も最も単純であり、左右のタペストリーとは構図上の関連性がない。他のタペストリーのように、時間的にも空間的にも関連性のある事物や人物が存在しない。また、彼が1514年に『ヘリオドロスの間』に描いたDeliverance of Saint Peter(聖ペトロの解放)―牢獄からの脱出という同じ主題―と比較すると、構図や人物描写の点で明らかに劣っている。それゆえ、この作品は最後に礼拝堂の左の壁の空間を埋めるために考え出されたもので、擬人化された人物をのぞいて、ラファエッロの工房の誰かによって描かれたもののように思われる。

                                              Ⅶ. Paul Preaching at Athens『アテネにおけるパウロの伝道』(plate.6

 この作品はパウロ・サークルの最後を飾るタペストリーで、他のタペストリーとは異なる場所、つまり聖職者のいる場所ではなく、平信徒(laity)のいる場所(fig.8)に飾られた。これは伝道を主題にした作品であるので、この場所にこそふさわしいと思われる。牢獄から逃れたパウロは、テモテとシラスを引き連れ、テサロニケへ向かう。その地で多くのギリシャ人や主だった婦人たちはパウロの教えに従ったのだが、一部のユダヤ人たちがパウロを迫害しようとしたため、彼らはペレアに逃げ、そこで布教を試みる。だがテサロニケのユダヤ人たちはこの地まで彼を追いかけてきて、群衆を扇動し騒がせたので、パウロはテモテとシラスを残し、独り先にアテネへと旅立つ。
 パウロはアテネの3カ所で伝道を行った。最初はSynagogue(ユダヤ人の会堂)、次はアテネの広場Agora、最後はアレオパゴス(Areopagus、「アレスの丘」の意味)である。ラファエッロが描いたのはこのうちどの場所での伝道であったのだろうか。多くの批評家たちはこのCartoonが描かれた場所を、従来マルス(アレス)の神殿があると言われたアレオパゴスと解釈している。しかしマルスの神殿は、アレオパゴスにはなかった。マルスの神殿は1937年に発掘されたが、その場所はアテネのアゴラであった。*19 したがってラファエッロが描いたのは、アテネにおける2度目の伝道場所、アゴラであったと思われる。

   パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
  また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいんだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」という者もいた。パウロが、イエスの復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼はパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことを私たちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。            『使徒言行録』(17.16~17.21)

 パウロはアテネで彼ら2人を待っている間、広場(アゴラ)で布教を行うが、パウロの話に興味を持った人々にアレオパゴスに連れて行かれる。彼はそこでもキリストの教えを説くが、キリストの復活の話になると彼らはあざ笑い始めた。その情景は次のように述べられている。

   死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それでパウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスクという婦人やその他の人々もいた。          『使徒言行録』(17.29~17.34)

 アゴラでのパウロの伝道を描いたCartoonには、多くの人物が登場する。画面右下には、アレオパゴスの議員ディオニシオとダマリスクが描かれている。ディオニシオの両手は画面左の階段の上にいるパウロに向かい、一方パウロの両手は天に向かって掲げられている。このタペストリーはシスティーナ礼拝堂の入り口の最も近くにあり、またタペストリーでは左右が逆転(fig.29)するので、礼拝に訪れた信徒はまずディオニシオとダマリスクに目を向けることになる。この両名はCartoonの下絵(fig.30)と比較してみると、大きく変更されたことがわかる。下絵ではダマリスクは描かれておらず、またディオニシオは足元まで描かれており、パウロとの高低差がさほど大きくない。ディオニシオの膝から下を省略することによって高低差を大きくし、それによってディオニシオからパウロへと向かう斜線が強調される。さらにこの線は、パウロの両腕と視線が向けられている天へと移行する。画面をくの字型に上昇するこの視線は、他の登場人物の織りなす不安定な水平線を背景にすると、一層強調されることになる。
 このCartoonでは、ディオニシオの右側に立つ数名の人物たちは、各々異なった姿勢、表情で描かれている。だが下絵では、指を唇に当てている老人とぼんやりとパウロを眺めている青年が描かれているだけである。この2人はラファエッロの当初の発想であったと思われるが、彼らはパウロに近いところにいるため、段上から群衆に向かって伝道する場景を狭く感じさせる。最終的にパウロ以外の人物をより小さく描き、さらに多くの群集を描きいれることによって、伝道の情景を強調したと思われる。
 ディオニシオの右には、懐に両手を入れ考え込んでいる老人や、杖に両手を載せその上に顎を置いている老人、またぼんやりとパウロを眺める青年がいて、彼らは『使徒言行録』(17.18)に述べられている哲学者たちであろう。タペストリー制作に先立つ1509年から1510年の間に、ラファエッロは『アテナイの学堂』に多くの哲学者を描いたが、そこに描かれた哲学者たちとこのCartoonに描かれた哲学者を比較してみよう。懐に両手を入れた人物は、『アテナイの学堂』の最も左側に描かれているストア派の始祖ゼノン(fig.31、左側の髭を蓄えた老人)に酷似している。『使徒言行録』にはストア派の哲学者も述べられているので、おそらくこの老人はこの哲学者と思われる。彼の右側の杖に顎を載せている老人は、『アテナイの学堂』の画面中央の階段に寝そべっているディオゲネス (fig.32)に似ており、犬儒学派の哲学者であろう。彼らの背後の4人の若者のうち、画面右側の2人は激しい目つきから判断して犬儒学派の哲学者の弟子たち、同様にエピクロス派の哲学者の背後にいる2人の若者は、その哲学者の弟子たちであろう。
 画面中央の7名の人物たちは、おそらく、アテネの北西部郊外にあったプラトンが創設したアカデメイアの生徒たちと思われる。これらの人物は、画面左から射す光によって照らし出されたディオニシオとダマリスク、哲学者たち、そして聖パウロの存在を際立たせるために、建物の影の中に置かれている。さらに中央の椅子に座っている5名のうち、後列の3人はパウロの言葉にたいし首を傾げたり、お互い向かい合って議論したり、また前列の2人は聖パウロの声が聞こえないと後列の3人に注意している。その他1人の若者は石柱の場所にいて、他の1人の老人は立ち姿で指を唇に当て考え込んでいる。これらは画面中央の水平線の単調さを際立たせないように各々異なる姿勢で描かれ、パウロの伝道にたいする聴衆の不穏さを表しているように思われる。また建物の間に置かれた遠景の2人は彼らの身なりからして『使徒言行録』(17.21)に述べられている外国人と思われるが、彼らの存在がなければ、建物の間の隙間によって、画面は中央で垂直線上に切断されてしまう印象を与えるので、彼らはそれを回避するために描きこまれたのではなかろうか。
 パウロの背後には3人の男性がいて、1人は階段に腰かけ、2人は杖を突き直立の姿勢で、パウロを見つめている。これらの人物について、Shearmanは、奥の太った男性はレオ10世、中央の髭を蓄えた男性はヤヌス・ラスカリス(Janus Lascaris, 1445-1535)と推定している。前者はラファエッロのパトロンであり、後者は『ギリシア詞華集』を校訂したギリシア文法学者で、ともにラファエッロの友人であった。それゆえ階段に腰かけている男性もラファエッロの友人の1人ではないかと、Shearmanは推論している。*20 しかしこの推論は認め難い。というのも、彼ら3人の表情が友人の表情ではないからである。Benjamin RalphのThe School of Raphael *21 では、太った男性と髭を蓄えた男性の表情はともに"Incredulity"(懐疑心)、階段に座る男性の表情は"Malice, with Incredulity"(懐疑心とともに悪意)に分類されており、ラファエッロは友人やパトロンをこのような否定的な表情で登場させたとは考え難い。それでは、彼らの存在をどのように考えたらよいのであろうか。
 1840年に出版されたThe Book of Raphael's Cartoonsにおいて著者Richard Cattermoleは、太った人物を彼の被っている帽子からラビ僧、髭の人物をその風貌から魔術師、階段に腰かけている人物を「獲物に飛びかかろうとしている獰猛な野獣」*22 とし、スパイではないかと推定している。また1860年に出版されたAnalysis of the Cartoons of Raphaelにおいて、著者Charles B. Nortonは、太った人物を「悪意と立腹が彼の表情には表れている。彼の両足の開き方、右手の杖の握り方は、彼の気質をよく表している」*23 としながらも、彼の職業については何ら述べてはいない。髭をたくわえた人物については「鋭い、神秘的な眼差し」が特徴的で、魔術師ではないかと推論している。また階段に座っている人物については「悪意のある視線を向けて、まるであらゆることを記憶にとどめようと、耳を傾けている」とし、スパイではないかと推論している。こうしてこれら3人の人物については、彼らの表情や仕草から様々なことが推論されるものの、そのような推論を確定するような証拠は何もない。
 次に、このCartoonに描かれているマルスの神殿について述べてみたい。画面右側にヘルメットを被り、槍を手に持つマルス像が描かれているが、その像が向いている建物が、マルスの神殿である。だが、ラファエッロが描いたこの神殿は事実に基づいていない。発掘された遺跡の研究から、実際のマルスの神殿は紀元前5世紀のローマの典型的な様式で、長方形のドリス様式の円柱式建物であったことが判明しているが、今述べたとおり、ラファエッロが描いた神殿は円形である。いずれかの時期にこのアゴラに移されたこの神殿は、16世紀初頭にはすでに廃墟となっており、礎石さえ埋もれてどのような建物であったかさえ判じかねる状態であった。そのためラファエッロは、実物に変えて、20歳の頃に描いた円形の建物の絵*24を、この折りに転用したと思われる。彼の円型神殿の発想には、Donato Bramante(1444-1514)が1502年頃に設計したローマにあるサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会(San Pietro in Montorio)のテンピエット(fig.33)の影響があったと考えられる。*25当時ブラマンテは法王ユリウス2世に仕えていて、同郷人であり遠縁に当たるラファエッロを法王に推薦してくれたのである。それゆえブラマンテとラファエッロは強い友情で結ばれており、彼が建築家ブラマンテの作品を知らなかったはずはない。この円形神殿に関し、ラファエッロとブラマンテのそれとを比較してみると、大きく異なる点はドーム上の十字架と1階の外側の壁龕に描かれた女神像であろう。ブラマンテの円型建物は殉教者記念礼拝堂であるので十字架があるのだが、Cartoonではマルスの神殿であるがゆえに当然省略された。さらに古代ローマの建物であることを示すために、神殿の内側ではなく外側に壁龕を設け、そこに偶像を描き入れたのではなかろうか。
 ラファエッロによる下絵には建物は描かれていないが、彼の工房の一員であった2人の画家、Marcantonio Raimondi (1480-1534、fig.34)とGiovan Francesco Penni(1496-1528、fig.35)の模写には、それが描かれている。Penniの模写は制作年代が不明であるが、Raimondiのそれは1517年から1520年の間に描かれているので、Cartoonの最終的な下絵を見て描かれたものと推定できる。これらの模写とCartoonを比較し、変更点を述べてみよう。これらの模写の円形神殿には、2階に2人の人物が描かれている。おそらくこれは『リストラの犠牲』の円形建物の2階に人物が描かれていたのと同様に、ラファエッロの最終的な下絵にも描かれていたと思われるが、パウロの天空へと向けられた両腕の方向を遮るので省略されたのだろう。また、ラファエッロの神殿には壁龕に神像が描かれているが、これらは両名の模写にも描かれていないので、そこにはその建物が教会ではなくローマの神殿であることを強調するラファエッロの最終的な意図があったと思われる。

                                                                                    Ⅷ.終わりに

 ヴァザーリによれば、ラファエッロはミケランジェロの作品を研究することによって、彼のような完成度を追求することを断念し、次のような結論に至った、と述べている。

  完璧な画家といわれる人々の中には次のような画家も含まれるべきだ。―物語の情景を工夫してそれを巧みに容易に表現し、いろいろな思いつきを上手に描く。そして物語絵の情景を構成する際にあまりにたくさん描きこんで物語を駄目にすることもなく、またあまりに描き足らなくて物語を貧弱にしてしまうこともなく、上手な工夫と秩序の感覚で物語絵を作りあげる―そうした人々も分別に富んだ価値ある画工と呼ばれるべきだ、とそう結論するにいたったのである。*26
 
 ヴァザーリはここでラファエッロの画風を述べる際に「物語絵」という言葉を使っているが、その言葉の定義に関しては何も述べていない。おそらくヴァザーリの念頭にあった「物語」とは、時間に沿って出来事が継起する文字による物語であろう。それゆえ彼は、ラファエッロの絵には時間に沿って継起する出来事が描かれていると主張しているのだと思われるが、それはラファエッロの絵に固有の特質ではなく、他の多くの画家の絵にも見られるものだ。
 時間の経過あるいは異なる時間を一枚に画布に描き込む手法は、「異時同図法」と呼ばれ、同じ背景の中に主役となる登場人物が複数回描かれることになる。実はこの手法は、ラファエッロのタペストリーが飾られたシスティーナ礼拝堂に描かれた多くのフレスコ画に見受けられる。そこには次の作品がある。すなわち、ミケランジェロ作『原罪と楽園追放』、第2層南壁面に描かれたペルジーノ作『モーセのエジプト脱出』、ボッティチェリ作『モーセの試練』、ロッセッリとギルランダイオまたはビアッジョ・ダントーニオ作の『紅海横断』、ロッセッリまたはピエロ・ディ・コジモ作『シナイ山から下山したモーゼ』、シニョレッリとバルトロメオ・デッラ・ガッタ作『モーゼの死と遺言』、ボッティチェッリ作 『反逆者たちの懲罰』、および北壁面に描かれたペルジーノとその弟子作 『キリストの洗礼』、ボッティチェッリ作 『キリストの誘惑』、ギルランダイオ作 『使徒の改宗』、ペルジーノ作『聖ペテロへの天国の鍵の授与』、ロッセッリ作『最後の晩餐』である。これらすべての作品は 「異時同図法」で描かれ、主役となる人物は一枚の絵に複数回描かれている。つまりシスティーナ礼拝堂は「異時同図法」で描かれたフレスコ画によって装飾されている。
 しかしラファエッロは、システィーナ礼拝堂を飾るフレスコ画と同じ手法で10枚のタペストリーを制作しようとは考えなかった。ヴァザーリが述べているように、「物語絵の情景を構成する際にあまりにたくさん描きこんで物語を駄目にすること」がない手法を考えたに違いない。元来「物語」にはストーリーとプロットという2つの側面があるが、ストーリーは時間の推移によって起こる出来事(話の内容)を、プロットはその出来事の因果関係(話の表現形式)を表す。したがってひとつのストーリーにたいして複数のプロットが可能となる。ラファエッロのCartoonsにそれを当てはめてみると、ストーリーはその典拠となる『使徒言行録』によって与えられたものを、またプロットとは作者が独自の視点からその因果関係を創造し、そのために決定された必要な細部ということになる。ラファエッロは、第2層を飾るフレスコ画とは異なり、聖書というテキストから一瞬の場景を描く手法を選択し、10枚のCartoonsにそれぞれ断絶した出来事を描いたが、彼はプロットの視点から各々の作品に連続性を与えた。ペトロ・サークルにおいては、最初のThe Miraculous Draught of FishesChrist's Charge to Peter、ペトロ・サークルの最後の作品The Death of Ananiasからパウロ・サークルの最初の作品The Stoning of Stephenというふうに因果関係に連続性を与える細部を描き込んだ。さらに各々のCartoonにおいては一瞬の出来事の前後を示す登場人物をも描き込み、時間の因果関係を示した。これらの連続性は一瞬の出来事にドラマ性を与え、一瞬の場景を意味形成の場としたのである。 

 

*1 The Stoning of St. Stephen, detail from the Brussels Tapestries, replica of Raphael's Vatican series
*2聖書の邦訳に関しては、日本聖書教会の新共同訳を使わせていただいた。なお、人名、地名に関しても新共同訳に統一することにした。
*3 Stoning of St Stephen (west wall, left)1278-79 Fresco Sancta Sanctorum, Lateran Palace, Rome
*4 The Martyrdom of St Stephen, 1324, Fresco, Santa Croce, Florence
*5 Carl Gustaf Stridbeck, Raphael Studies,Ⅱ.Raphael and Tradition, (Almqvist&Wiksell,1963)に掲載
*6 1715年An Essay on the Theory of Painting では"Elymas the Sorcerer"
   1764年A Description of the Cartons [Sic] of Raphael Urbin, in the Queen's Palace. by Benjamin        

 Ralphでは"Elymas the Sorcerer Struck with Blindness"
   1821年Thomas Hollowayの模写では"Elymas the Sorcerer struck with blindness"
   1831年Cartonensia: Or, an Historical and Critical Account of the Tapestries in the Palace of the Vatican, Copied from the Designs of Raph  では"Elymas Struck Blind by St.Paul"  
   1845年 The Book of Raphael's Cartoonsでは"Elymas the Sorcerer Struck Blind"
   1860年 Expositions of the Cartoons of Raphael では"The Conversion of Sergius Paulus"
   1860年 Analysis of the Cartoons of Raphaelでは"Elymas the Sorcerer Struck with Blindness" 
   1867年 Notes on the Cartoons of Raphael in the South Kensington Museum では"Elymas the Sorcerer Struck  Blind"   
*7 Christian K. Kleinbub, Vision and the Visionary in Raphael, (The Pennsylvania State University, 2011), p.94.
*8 G.F.Hill, The Medallic Portraits of Christ, (Oxford at the Clarendon Press, 1920), p.22.
*9 Sir Joshua Reynolds, Discourses on Art, (Yale Univercity, 1997), pp.218-219.
*10 James Renshaw, In search of the Romans (Bristol Classical Press, 2012), p.359. 
*11 Shearman, Raphael's Cartoons in the Collection of Her majesty the Queen and the Tapestries for the Sistine Chapel, (Phaidon, 1972), p.103.
*12 ibid., fig.66.
*13 Christian K. Kleinbub, Vision and the Visionary in Raphael, (The Pennsylvania State University, 2011), p.77-78.
*14 Richard Henry Smith, Jun., Exposition of the Cartoons of Raphael, (1860), p.65 パウロの左足の踵が上がっているのは飛び出してきて急に立ち止まったからであると、指摘している。  
*15 James Renshaw, In Search of the Romans (Second Edition, 2019), pp.98-99.
*16 Richard Cattermole, The Book of Raphael's Cartoons, (1845), p.158.
*17 J.A. Gere, Drawing by Raphael and his Circle, (The pierpont morgan Library, 1987), p.119.
*18 Shearman, op.cit., p.105.
*19 John M. Camp, John Mck. Camp, The Athenian Agora: A Short Guide to the Excavations (Agora Picture Book,    16) (2003, Second Edition), p.38. 
*20 Shearman, op.cit., p.61.
*21 Benjamin Ralph, The School of Raphael or the Student's Guide to Historical Painting (1759), Plate33.Ⅱ, 38.    Ⅱ, 17.Ⅰ.
*22 Richard Cattermole, op.cit., p.179.
*23 Charles B. Norton, Analysis of the Cartoons of Raphael (1860), p.12.
*24 Sposalizio (The Engagement of Virgin Mary)  1504年
*25 Shearmanは、BramanteではなくFrancesco di Giorgio Martiniの影響が大であったと、指摘している。(p.125)しかしラファエッロは1519年にレオ10世に宛てた手紙で、ブラマンテの多くの美しい作品は古代のマニエラに基づいて作られていると述べられている。(Palladio's Rome, translated by Vaughan Hart & Peter Hicks, Yale University Press, 2006, Appendix, p.182)
*26 ヴァザーリ、『ルネサンス画人伝』(白水社、2004年第15版)、p.204

 

関連サイト​

Notes on the Cartoons of Raphael in the South Kensington Museum

Cartonensia: Or, an Historical and Critical Account of the Tapestries in the Palace of the Vatican

The Book of Raphael's Cartoons

Expositions of the Cartoons of Raphael 

Analysis of the Cartoons of Raphael

・The Medallic Portraits of Christ

⑤: ようこそ
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