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                                    ラファエッロ作CARTOONS
                                       ペトロ・サークルの考察
                         
高倉 正行

                                                             Ⅰ.はじめに

 フランスにおけるラファエッロの作品研究は、1648年の「王立絵画彫刻アカデミー」(Académie Royale de Peinture et de Sculpture)設立以後に始まる。その研究がが本格的になったのは、設立18年後にローマ支局が置かれてからであるが、研究対象になったのは主にバチカン宮殿の『ラファエッロの間』(Stanze di Raffaello)の作品群や、Agostino Chigi(アゴスティーノ・チーギ)のため建てられた別宅Villa Farnesina(ヴィッラ・ファルネジーナ)を飾る彼の作品群であった。ラファエッロ作Cartoons(実物大下絵)から織られたタペストリーはバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂を飾るためのものであったが、ローマ支局が開かれた17世紀中葉にはそれらのタペストリーがシスティーナ礼拝堂を飾ることはなかったと考えられるので、フランスの画家たちの研究対象とはならなかったように思われる。
 英国にはフランスの王立絵画彫刻アカデミーのローマ支局のような機関は存在せず、英国におけるラファエッロの作品研究は、18世紀初頭まで待たねばならなかった。チャールズ皇太子によって購入されたラファエッロ作Cartoonsは暫く箱に収められていたが、1699年、ウィリアム3世治下にその7枚のCartoonsは修復され、ハンプトンコート宮殿の一室に展示された。これをもって英国人によるラファエッロの作品研究が始まったと言っても過言ではない。1711年には当時の知識人の代表者であったJoseph AddisonとRichard SteeleはSpectator誌で、ハンプトンコートに展示されているラファエッロ作のCartoonsを見ることで優れた人格が養われると述べ、その重要性を説いた。*1 その4年後、英国人画家のJonathan RichardsonはAn Essay on the Theory of Painting(1715年)を著し、フランスの画家たちが対象としたラファエッロ作品とは異なり、ラファエッロのCartoonsに基づく絵画理論を築いた。彼のCartoons評価は、ロンドン王立美術院の初代院長レノルズを経由し、18および19世紀の英国絵画に多くの影響を与えている。
 英国におけるラファエッロのCartoons研究は、Jonathan Richardsonの先に挙げた著書を筆頭に、Benjamin RalphのA Description of the Cartons[Sic] of Raphael Urbin, in the Queen's Palace(1764年)、19世紀にはW.GunnのCartonensia(1831年)、Richard CattermoleのThe Book of Raphael's Cartoons(1845年)、Richard Henry Smith, Jun.のExpositions of the Cartoons of Raphael(1860年)、Charles B. NortonのAnalysis of the Cartoons of Raphael(1860年)、Charles RulandのNotes on the Cartoons of Raphael Now in the South Kensington Museum: And on Raphael's Other Works; Prepared for the Science and Art Department(1867年)、さらに20世紀には最も定評のあるCarl Gustf StridbeckのRaphael StudiesⅡ.Raphael and Tradition(1963年)とJohn ShearmanによるRaphael's Cartoons in the Collection of Her Majesty the Queen and theTapestries for theSistine Chapel(1972年)、またヴィクトリア・アンド・アルバート博物館から出版された幾冊かのラファエッロのCartoons研究書*2などが挙げられる。これらの研究書を参考にして、2回に分けラファエッロ作Cartoonsの解説および考察を行いたいと思う。
 システィーナ礼拝堂を飾ったラファエッロのタペストリーは10枚であったが、そのうち7枚のCartoonsが現存し、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の一室に置かれている。現存していない3枚のCartoonsを含めると、その主題は3つに分かれ、聖ペトロを主題にしたものが4シーン、聖パウロ(パウロはギリシャ名、サウロはユダヤ名)を主題にしたものが5シーン、聖ステファノを主題にしたものが1シーンである。聖ステファノが描かれているCartoonThe Stoning of Stephen(『ステファノへの投石』)であるが、その場面に回心以前のサウロ(回心後はパウロ)が描かれていることを考えれば、ふたつの主題に分けられると考えられる。

聖ペトロを主題にしたもの
The Miraculous Draught of Fishes(『奇蹟の大漁』)  360 x 400 cm
Christ's Charge to Peter(『キリストのペトロへの啓示』)  345 x 535 cm
The Healing of the Lame Man(『足の不自由な人の快癒』)  340 x 540 cm
The Death of Ananias(『アナニアの死』)  385 x 440 cm

聖パウロを主題にしたもの
The Stoning of Stephen(『ステファノへの投石』、現存せず)
The Conversion of the Proconsul(『地方総督パウルスの回心』)  385x445 cm
The Sacrifice at Lystra(『リストラの犠牲』)  350 x540 cm 
Paul Preaching at Athens(『アテネにおけるパウロの伝道』)  343 x 442 cm
The Conversion of Saul(『サウロの回心』、現存せず)
Paul in Prison(『獄中のパウロ』、現存せず)

聖ペトロと聖パウロの2人の使徒を主題に選んだことから、ラファエッロはシスティーナ礼拝堂を飾るタペストリーにキリスト教教会の2人の創始者を選んだと思われる。本稿では現存している聖ペトロを主題にした4つのCartoonsを考察の対象にする。

                Ⅱ.The Miraculous Draught of Fishes『奇蹟の大漁』(plate.1

 聖ペトロを主題にしたCartoonsの中で、最初に『奇蹟の大漁』を考察の対象にすることがふさわしいと思われる。というのも、この絵にはペトロ(ペテロ、シモンとも表記される)がイエスの弟子になる場面が描かれているからである。この場面は聖書の中で3回登場する。一つは『マタイによる福音書』(4.18~4.22)、そして『ヨハネによる福音書』(21.1~21.14)、最後に『ルカによる福音書』(5.1~5.11)である。これらは同じ奇蹟を扱いながらも細部が異なる。最も大きく異なる点はキリストの位置であろう。マタイおよびヨハネによる福音書では、キリストは岸辺に立っている。しかしルカによる福音書だけがキリストが小舟に乗り込む様が述べられている。 

  イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せてきた。イエスは、二そうの船が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、船から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足下にひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。*3
 
 ラファエッロの絵では、キリストはペトロが乗っている小舟の先頭部に腰掛けている。中世およびラファエッロ以前のルネッサンス期においてこの奇蹟は頻繁に描かれたが、そ の多くは岸辺に立っている姿で描かれている。Carl Gustaf Stridbeckによれば、15世紀までの絵画では、この主題は『マタイによる福音書』をもとにしているということである。*4 例えばイタリアのラベンナにあるSant' Apollinare Nuovoの5世紀頃のモザイク画(fig.1)、Duccio di Buoninsegna作のCalling of Peter and Andrew(National Gallery of Art, Washington所蔵1308-11, fig.2)、Lorenzo Veneziano作のCalling of the Apostles Peter and Andrew(Staatliche Museen, Berlin所蔵, 1370, fig.3)、Konrad Witz作のDer wunderbare Fischzug(Musée d'Art et d'Histoire所蔵, 1443-44, fig.4)などではすべてキリストは岸辺に立っている。なぜラファエッロは、マタイおよびヨハネによる福音書をもとにして描かれたと思われる伝統的な構図を捨て、ルカによる福音書の構図を選択したのであろうか。
 その理由として、主にふたつの事柄を指摘できるのではないかと思われる。ひとつはラファエッロの画法に関係している。ヴァザーリは『ルネサンス画人伝』の中で、ラファエッロがフィレンツェに旅をし、そこでマザッチョやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの作品に触れ、彼の画法が大きく変化したと記している。ラファエッロは彼らの作品を研究し、彼らの技法を我が物にしようとしたが果たせず、次のような結論に至った。

  物語の情景を工夫してそれを巧みに容易に表現し、いろいろな思いつきを上手に描く。そして物語絵の情景を構成する際にあまりにたくさん描きこんで物語を駄目にすることもなく、またあまりに描き足らなくて物語を貧弱にしてしまうこともなく、上手な工夫と秩序の感覚で物語を作りあげる。*5
 
 ラファエッロにとって重要であったことは、聖書を題材にした絵であっても、その絵がひとつの物語絵になること、すなわち聖書の単なる説明図ではなく、独立した作品になることであった。そのためには情景の工夫、思いつきを上手に描くこと、物語絵を効果的に演出するために不必要な物を削除することが重要であると、彼は考えたのではなかろうか。この観点から上記の福音書を眺めてみると、マタイおよびヨハネの福音書は大漁という出来事だけを強調しているので物語絵にはなりにくい。舟頭に腰掛けるキリストの足下にひれ伏すペトロの情景を述べているルカによる福音書は、ラファエッロにとって最適の題材であったに違いない。
 ふたつ目の理由として、ラファエッロ作のCartoonsから織られたタペストリーはシスティーナ礼拝堂の最下層に飾られたが、その上の第二層にはすでにDomenico Ghirlandaioによる同じ主題のフレスコ画Calling of the Apostles(1481, fig.5)が置かれていた。その絵の一部に大漁の様子が描かれているが、そこではキリストは岸辺に立っている。ラファエッロは同じ構図でシスティーナ礼拝堂を飾ることに納得できなかったのではなかろうか。
 The Miraculous Draught of Fishes『奇蹟の大漁』(plate.1)の構成に目を向けてみよう。画面中央に描かれている湖はガリラヤ湖(ゲネサレト湖)で、そこに2艘の小舟が浮かび、キリストを含む6名の人物が描かれている。左上に微かに見える町並みはガリラヤ湖北西にあるカペナウム、右上に描かれた丘や建造物は、その内容からしてイスラエルではなくローマ市内のようである。右側の湖畔には数十人の人々が描かれている。画面下の前景には三羽の鶴、湖には三羽の白鳥、空には十数羽の烏が描かれている。
 主要な主題である二艘の舟は後に置くとして、まずは画面右上のローマ市内と思われる風景について述べてみよう。なだらかな丘の右端に置かれている円柱の大きな建物は、その形状からしてTower of Saint John(fig.6)であり、その下に巡らされている城壁は、教皇レオ4世が850年ごろVatican防衛のために築いたLeonine Wallsと思われる。それゆえ、このなだらかな丘はVatican Hillであろう。その城壁の左下に見られるドリス様式の門のある建築物と煙突から煙を出している建物は、その出所が分からない。その丘の奥に幾つかの教会が見えるが、John Shearmanはそれらの建物を、その形状および位置から判断して、S. Maria della Pace、S. Maria del Popolo、S. Spiritoの教会ではないかと推察している。*6
ラファエッロは、なぜイスラエルを舞台にはるか15世紀後のローマ市内を描いたのであろうか。ローマ市内にあるこれらの建物はすべて教皇レオ10世に所縁(システィー礼拝堂を飾るタペストリーはレオ10世の依頼によもの)があることから、それはおそらく、パトロンであったレオ10世に畏敬の念を示すためだと考えられる。あるいは、カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなしているので、このCartoonが描かれた1515年ころの教皇レオ10世を、カトリック教会の正当な継承者とみなす意図があったのかもしれない。画面右側の湖畔に屯する群衆は、ルカによる福音書に「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せてきた」と記されているので、キリストが小舟に乗り込む前にいた群衆であろう。
 前景の岸辺に大きく描かれた3羽の鶴は何を象徴しているのであろうか。聖書ではふたつの場面で鶴が登場する。どちらも旧約聖書の中で、イザヤ書(38:14)とエレミア書(8:7)である。後者において山鳩や燕とともに、鶴は「来たるべき時を知る」鳥と述べられていることから、あるいはそれはキリストの最初の弟子の誕生を暗示しているかもしれない。また鶴は、蛇をついばむことから、悪魔に対する「警戒」の意味がある。三羽の鶴のうち2羽は天に向かってけたたましく鳴いている姿で、残りの1羽は舟上のキリストを見つめている姿で描かれているので、そのどちらの意味をも内包しているのかもしれない。湖面に浮かぶ3羽の白鳥は言わずもがな、純潔、美、誠実等を象徴するが、描かれた白鳥は3羽とも歓喜を暗示するがごとく羽をはばたかせている。空に描かれた烏は群れをなさず、まとまりなく飛び交っている。この存在はおそらくノアの箱舟と関連がある。ノアは地上を覆っていた水が乾いたかどうかを調べるためにまず烏を放したが、空をあちらこちらへと飛び交うだけで、その役を果たすことができなかった。したがってそれは、キリストの言葉に耳を貸さず、自らの信仰に右往左往する宗教者を暗示しているのかもしれない。
 この大漁絵の多くの空間は、2艘の小舟で占められている。岸辺に近い方の小舟には、舟頭からキリスト、シモン・ペトロ(ペテロ)とその兄弟アンデレが、他方の舟にはゼベダイの子ヤコブとヨハネ、ゼベダイが乗船している。このCartoonの大きさは高さ319cm、幅399cmであり、V&Aに飾られている実際の絵を見ると、他のCartoons同様、人物が実物以上の大きさで描かれ、それを見る人に迫ってくる。それゆえに、ハンプトンコートの一室に飾られたとき、描かれた人物にたいし小舟があまりにも小さすぎるという批判があらわれた。これにたいし、ジョナサン・リチャードソンは次のように答えた。

  もしその小舟がそれぞれ三人を乗せることができるほど十分大きかったならば、彼の絵は小舟で埋め尽くされてしまい、不愉快な印象を与えてしまうだろう。また人物を小舟の大きさに合わせて描いたならば、他のCartoonsの絵と釣り合いがとれなくなってしまい、人物の重要性が減少してしまうだろう。小舟を大きく描いても、あるいは人物を小さく描いても、どちらもうまくいかない。*7
 
 リチャードソンはラファエッロのこの絵にたいする擁護を、絵画要素のひとつであるInvention(創意工夫)の中で述べており、「画家は時に自然や歴史的事実から離れることが許される」*8と主張する。確かに、描かれた人物のサイズに合うように小舟を大きく描いたならば、ガリラヤ湖北西にあるカペナウムもローマ市内の風景も、さらにガリラヤ湖の広々とした水面もなくなり、物語絵が成り立つために必要な細部の象徴群が失われてしまうであろう。また小舟のサイズに合わせて人物を小さく描くと、他の6枚のCartoonsと釣り合いがとれなくなってしまう。他の絵の大きさも高さ約3.5メートル、幅約5メートルであり、そこに描かれている主要な人物は等身大もしくはそれ以上であるので、The Miraculous Draught of Fishesの絵の人物だけが極端に小さく描かれることになり、出来事の重要性が弱まってしまう。物語絵および出来事の重要性を効果的に表現するには、リチャードソンが指摘するように、自然および歴史的事実から離れることが必要であった。
 小舟に乗船する人物の中で最も重要な存在は、言わずもがな舳先に腰掛けているキリスト(fig.7)であろう。ラファエッロにとって、否、どの画家にとってもキリストの顔を描くことは困難なことであった。ひとつには偶像崇拝の禁止で手本とすべき美術品がなくなったこともあるが、直接的には、誰もキリストの顔を見たことがなく、また聖なる存在を人間味あふれるように描くこともできなかった。ラファエッロはこの課題にどのように取り組んだのであろうか。ヴァザーリの指摘するように、ラファエッロは過去や同時代の画家の作品を研究して自分の作品に取り入れたことはよく知られており、彼がキリストの横顔を描く際に手本とした美術品をふたつの側面から指摘できるように思われる。ひとつはイタリアの彫刻家Raffaello Sanzio Morghen(1758–1833)による版画Head of the Saviorから示唆されるものと、他方は15、16世紀に作られたメダリオンである。
 Morghenによるその版画(fig.8)にはAfter Leonardo da Vinciと記されており、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を模倣した版画であることが分かる。キリストの胸像の服装や頭部の背後の十字架には違いがあるが、この版画とThe Miraculous Draught of Fishesのキリストの横顔はよく似ている。この元になったダ・ヴィンチの作品は現存していない*9 ので推察の域を出ないが、ラファエッロが版画の元であるダ・ヴィンチの絵を見て、このCartoonに利用したと考えられる。他方は15、16世紀に作られたメダリオンであるが、この時代多くのメダリオンが作られ、その中にキリストの横顔が彫られた作品が散見される。Shearmanが指摘*10 しているのは、コンスタンチノープルの宝物庫にあったと言われているエメラルドのカメオで、それはスルタン・バヤジト2世がローマ教皇インノケンティウス3世に贈ったとされている。現物は存在していないが、15世紀の終わりに多くの青銅製メダルが複製された。そのひとつがMatteo de'Pastiによるedaglia di Gesù Cristo(fig.9)で、1450年頃に作られた。さらに、現在大英博物館に所蔵されている1500年頃に作られた作者不明の銅製メダル(fig.10)*11 もある。また絵画においては、Bartolomeo Montagna(1450–1523)が1498年に描いたMadonna and Child Enthroned with Saintsの一部(fig.11)に、キリストの胸像のメダルが描かれている。これらのキリスト像を見ると、背中に流れる頭髪のカール状態、口髭、顎髭、さらに額や鼻梁の形状はよく似ている。ラファエッロがこれらのうちどのメダルを参照したかは判然としないが、これらのメダルのいずれかをヒントにした可能性は非常に高い。15世紀にキリストの胸像のメダルが多く作られたことから判断すれば、現存しないダ・ヴィンチの作品さえ、これらのメダルを参照にして描かれた可能性すらある。ペトロに差し出すキリストの左手は伝統的には右手であるが、これはタペストリーにすれば左右が逆転するので、右手となる。それゆえラファエッロは、The Miraculous Draught of Fishesのキリスト像を、伝統的手法を念頭に置いて描いたと思われる。
 キリストに向かって両手を合わせ、尻込みをしているペトロおよびアンデレ、他の小舟に乗船している3人はラファエッロ自身の独創的な産物だと思われる。ペトロの、両手をキリストに向かって差し出しながら尻込みする姿は、まさにルカ伝の「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」を効果的に表現している。アンデレはルカ伝には登場しないが、マタイ伝には登場し、ラファエッロは両手を大きく開いているアンデレの姿をここに描くことで、大漁の奇蹟にたいする驚きや畏怖の念を演出している。1759年に出版されたBenjamin Ralph編のThe School of Raphaelに取り上げられた図版においても、キリストの表情は“Benignity”(慈悲)、ペトロの表情は“Fear and Reverence”(恐れと崇敬)、アンデレのそれは“Awe and Attention”(畏怖と注目)に分類されている。他方の舟に乗り、網を引き上げているゼベダイの兄弟2人のうち一方は、キリストに注意を向け、他方は、網に留意している。画面左から右へと向かい、描かれた人物の視線の強度は徐々に弱まり、2艘目のヤコブは網を引きながら出来事の不可思議さに気づきキリストの方へ視線を向けているが、ヨハネは網を引くことだけに没頭し、父ゼベダイにいたっては、網にも注意を向けず舵を握り、舟の行く手に気を配っているだけのようである。したがってこの絵は奇蹟の重要性の点から考えると、画面右から左へと強まっていく。この方向性はシスティーナ礼拝堂に飾られたタペストリーの位置(fig.12)から判断されたと思われる。主祭壇の後壁にはまだミケランジェロの『最後の審判』が描かれておらず、そこにラファエッロのふたつのタペストリーが掛けられた。左側にはStoning of St Stephenのタペストリーが置かれ、礼拝堂の左側の壁を飾る最初のパウロ・サークルとなった。右側にはThe Miraculous Draught of Fishesが置かれ、礼拝堂の右側の壁を飾るペトロ・サークルの最初のタペストリーとなった。タペストリーとCartoonsでは左右の向きが逆になるので、システィーナ礼拝堂を飾るタペストリーでは右側の壁に近い場所にキリスト像が占めることになる。したがってゼベダイからキリストへと視線を移すと、右側の壁の最初に掛けられた次のタペストリー、Christ's Charge to Peterが現れる。

   Ⅲ.Christ's Charge to Peter『キリストのペトロへの啓示』(plate.2)

 この絵はキリストの両手が向けられている対象によって、ふたつの出来事を表している。右手は羊に、左手は鍵に向けられている。すなわちキリストがペトロに「羊を養うこと」を命じ、かつ「天国への鍵」を譲渡する場面が描かれている。聖書の中に、このふたつの出来事がひとつの場面に述べられている箇所はない。したがって、聖書の中で別々に述べられている出来事を、ラファエッロはひとつの場面に描いたことになる。


 羊の世話は『ヨハネによる福音書』(21.15~17)に述べられ、これは先に考察したThe Miraculous Draught of Fishesの出来事に続く場面である。イエスの指示通りガリラヤ湖に小舟を漕ぎ出し、舟に溢れんばかりの魚を取った後、弟子たちとパンと魚で食事をする。

   食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの子羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子、シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
 
 キリストは3度ペトロに「わたしを愛しているか」と尋ねるが、これはペトロがキリストに3度離反すると予言され(『ルカによる福音書』、22.31~34)、それに呼応して言われたと考えられる。最初の絵の典拠となったと考えられる『ルカによる福音書』(5.1~5.11)では、豊漁後の食事は述べられていない。しかし同じ出来事を述べてはいるが採用されなかった『ヨハネによる福音書』(21.15~17)では、豊漁後の食事の情景が述べられ、ラファエッロの想像力は明らかに新約聖書の中を自由に飛び交っている。キリストの指し示す右手の意図は、この箇所では羊の世話について語られ、ペトロに羊飼いになるように指示している。他方天国への鍵の譲渡は、『マタイによる福音書』(16.15~20)に次のように述べられている。

  イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

 鍵の譲渡に先立つ場面では教会の正当性が述べられているが、ラファエッロはそれを象徴するような岩を描くことはしなかった。これはペトロという名前がギリシャ語では「岩」を意味することから、ラファエッロは岩を描き込む必要はないと考えたのではなかろうか。しかしラファエッロ以前の画家たちは、同様に、鍵の譲渡と羊の世話を同じ空間に描くことをしなかったのであろうか。彼の師であるペルジーノ作のフレスコ画『ペトロへの鍵の授与』(1481-82, fig.13)はシスティーナ礼拝堂の右側の壁第二層を飾っているが、その絵には羊は描かれていない。ストロッツィ礼拝堂にあるOrcagna作の同じ主題を扱った祭壇画(1354-57, fig.14)、コッレール博物館所蔵のLorenzo Venezianoによる同題名の油彩画(1380, fig.15)にも羊は登場していない。サンタ・チェチリア教会の後陣にあるモザイク画(fig.16)には羊が描かれているが、その絵はキリストおよび使徒たちの足下の別の場所に置かれ、同一空間の物語を構成しているとは思われない。中世の宗教画ではこのふたつの秘蹟は聖書の時系列にしたがって別々に描かれたと思われる。
 しかし絵画以外に鍵と羊が同じ空間に描かれた作品を探すと、カンタベリー大司教であったアンセルムス(Anselmus Cantuariensis,1033-1109)の宗教詩『祈りと瞑想』*12に行き当たる。この書は1070年から1080年の間に、アンセルムスが幾人かの使徒を瞑想して書いた散文詩であり、「聖ペトロへの祈り」の冒頭の彩飾文字(fig.17)に、鍵を手渡すキリストとそれを受け取るペトロ、両者の足下に3頭の羊が描かれている。距離的に離れているので、『祈りと瞑想』は一見ローマのヴァチカンとは無関係に見えるが、アンセルムスは1097年10月に当時のイングランド国王ウィリアム2世の意に背いて、ローマへ赴き、教皇ウルバヌス2世に謁見している。この事実から、この書がヴァチカン図書館にあり、それをラファエッロが手にし、このCartoonの構想の手がかりにしたと考えても、あながち間違いとは思われない。しかし、この彩飾文字絵に描かれたキリストとペトロや鍵と羊との関係は緊密でなく、この絵はアンセルムスの詩句の単なる説明図であり、芸術作品であるとは言いがたい。ラファエッロがこの書に影響を受けたとすれば、この彩飾文字絵にではなく、「聖ペトロへの祈り」の詩編にであったと思われる。アンセルムスは、聖ペトロを観想するという想像力の世界の中で、ペトロのふたつの役割を同化させることができたのであり、おそらく、ラファエッロは、アンセルムスの詩編を読み、彼の想像力の中で効果的にペトロの異なる役割を絵の中に融合させることができたと思われる。
 ラファエッロのこのCartoonには幾つかの下絵が残されており、それらを見ると、初期の段階ではペトロのふたつの役割を描こうとしていなかったことが分かる。部分の下絵を除くと、全体の下絵は2枚(fig.18fig.19)残されているが、それらを完成されたCartoonと比較すると、初期の段階ではラファエッロは鍵の譲渡の場面だけを描こうとしていた思われる。fig.18では、キリストと使徒たちだけが描かれ細部は描かれていない。fig.19では、背景の丘、木々、建物が描かれているが、キリストの両腕はともに下方に向けられ、左手は鍵を指している。また使徒の人数も増え、跪くペトロの次に右手のひらを見せている使徒が描き添えられている。したがって時間的な経過を考えれば、fig.18からfig.19、そしてCartoonの仕上げへと向かったと考えられる。初めの下絵では右手を天上に挙げ左腕を下げているキリスト像が描かれており、後の下絵では腕は両方とも下方に向けられ、左手はペトロに譲渡した鍵を指し示しているが、完成したCartoonに描かれている羊の群れがその下絵では描かれていない。これらの事実から最終段階に至るまで鍵と羊を同一場面に描くという構想は、ラファエッロにはなかったと考えられる。fig.19の背景に描かれた建物群が完成したCartoonと類似している点から、おそらく羊の群れおよび湖を描き入れる決心をしたのは完成直前ではなかったろうか。
 Christ's Charge to Peterの構成に目を転じると、この画面は大きくふたつの空間に分けられる。跪き鍵を受け取るペトロの右2人目の使徒までがキリストの行動に直接的に反応し、そこで、画面はふたつの空間に分かれる。キリストと3人の使徒が左の空間を、残り8名の使徒が右の空間を占めている。キリストの羊を指し示す右手と、最後の顔が隠れて見えない使徒の突き出た裾によってふたつの空間は閉じられる。画面の最も右側にはガリラヤ湖と岸辺に小舟が描かれている。これは先に考察した『奇蹟の大漁』との連続性を示し、下絵fig.19には描かれていないことから判断して、最終的に描き入れられたと考えられる。遠景にはキリストの肩の辺りに羊の群れをつれた農夫一家、そして破損したLeonine Wallや『奇蹟の大漁』に描かれた建物とよく似た幾つかの建築物が描き込まれており、おそらくこれらは、ラファエッロの時代のローマ市内を表しているのだろう。また市外には燃えている家と垣根に干されている亜麻布が描かれており、リチャードソンはこれらをこの絵の欠点とみなしている。*13 しかし『奇蹟の大漁』でも遠景に煙突からたなびく煙が描かれ、ラファエッロの細部へのこだわりが窺え、これらは日常のリアリティーを醸し出す要因となっている。画面周辺部では日常生活が営まれ、それと対照的に中央部では秘蹟が繰り広げられている。
 画面左側ではふたつの秘蹟が行われ、主題の中心的な空間となっている。キリストの顔は最初の下絵と後の下絵では大きく異なる。最初の下絵では若い姿で髪を伸ばしておらず、後の下絵では髪は長く、少し老いた姿(Cartoonの絵と類似)に描かれている。一見同じ画家によって描かれたように思われないので、リチャードソンはラファエッロの筆によるものではないと断定*14 しているが、その正誤の判断は難しい。キリストの足の位置は下絵と完成されたCartoonともにほぼ同じである。両下絵と完成作品で大きく異なる点は、キリストの上下の肌着である。下絵でキリストが身につけている肌着は、完成作品にはない。これは復活後のキリストの姿であるがゆえに、肌着を省略したと思われる。ふたつの鍵を手にするペトロは、ラファエッロの師ペルジーノ作『ペトロへの鍵の授与』(fig.13)と同様に跪いている。このふたつの鍵は、『マタイによる福音書』(16.15~20)の「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」のふたつの解く鍵を表し、天国および地獄への扉を開ける鍵と思われる。ペトロの隣で、赤いマントを身につけ両手を合わせてキリストに歩み寄ろうとしている使徒は、ヨハネ(ゼベダイの子)である。金髪で髭も生えていない女性的な顔立ちのヨハネはキリストに最も愛された使徒と言われているが、この姿勢から、ペトロと同じくらい、あるいはそれ以上に師キリストを愛しているという自負が窺える。
 ペトロとヨハネの間に立つ使徒は、ヨハネの兄弟ヤコブと指摘されている。最初にこの指摘を行ったのはRichard Cattermoleであるが、これには疑問が残る。その根拠として彼は、「ペトロ、ヨハネ、ヤコブは、他の使徒たちよりも師キリストに高く評価されていた」*15 ことを挙げている。しかしながら『マタイによる福音書』の鍵の譲渡の場面においても、また『ヨハネによる福音書』の羊の世話の場面においても、ペトロとその他の使徒たちはいたものの、その名前は明らかにされていない。さらに、『キリストのペトロへの啓示』は聖書の別のふたつの物語をひとつの場面に結合した絵となっているので、ペトロ以外の使徒を明確にすることはできない。現存している7幅のCartoonsの中で、11人の使徒が描かれているのは『キリストのペトロへの啓示』と『アナニアの死』の絵だけである。これらふたつの絵を比較すると、ごわごわの頭髪と長い顎髭という点で一致し、また『キリストのペトロへの啓示』はペトロ・サークルの最初の絵である『奇蹟の大漁』直後の場面であり、この絵ではペトロの次に位置する使徒はアンデレであるので、ペトロとヨハネの間に立つ使徒はペトロの弟アンデレではなかろうか。この使徒は最初の下絵では描かれていなかったが、その後の下絵で登場する。これは、キリストの両腕を下げることによってペトロの頭上に広い余白が生じ、それを避けるために描き入れられたと思われる。唇を固く閉じ激しい目つきのアンデレは右掌を大きく開いて見せ、左手はペトロの顔に隠れて見えないが、おそらくペトロが受け取った鍵を指しているのだろう。この視線や姿勢から、『奇蹟の大漁』のアンデレと同様に、この使徒は鍵の譲渡にたいする驚愕の表情を示していると思われる。

 聖書の中の羊の世話を述べた場面、『ヨハネによる福音書』(21.15~17)には、7人の使徒が登場する。『キリストのペトロへの啓示』において、左の空間を占める3人の使徒たちは福音書の当該の場面に登場しているので、右の空間に描かれた8人の使徒たちのうち、4人がラファエッロによって描き加えられたことになる。これら8人は、使徒の特定ができるようなアトリビュートを持っていない。またそれぞれ異なる姿勢や表情を浮かべており、統一感がない。これらのことから、一人一人の使徒が何かを表していると考えるのではなく、8人全体すなわち右の空間がどのような印象を見る者に与えるかを考えた方がいいのではなかろうか。左端に位置する羊の群れはあちらこちらを向き、草を食んでいる羊もいれば、集団の中で頭だけをのぞかせている羊もいる。羊の集団にも統一感がない。羊の群れと右の空間は不統一な印象を与え、その中心でふたつの秘蹟が行われている。画面左右の不統一感があるがゆえに、中心主題のふたつの秘蹟は一層際立つことになり、作者の意図を明確に伝える構造になっているように思われる。

            Ⅳ.The Healing of the Lame Man『足の不自由な人の快癒』(plate.3

 聖ペトロには、ふたつの聖なる力があったと云われている。これは先の絵『キリストのペトロへの啓示』に示されているように、キリストから授かった鍵とキリストの指し示す羊の世話によって表されている。これらの力を持つペトロの役割は、シュトリットベックによって、janitor caelorum「天の門番」とpastor ovium「羊飼い」と述べられている。*16 またアンセルムスは詩編「聖ペトロへの祈り」の冒頭でペトロに次のように呼びかける。 

  聖なる思いやりのあるペトロ
  神の羊の忠実なる羊飼い
  使徒の長
  力ある皇子のなかの皇子
  あなたは意のままに結び解き放つことができる
  あなたは意のままに癒やし立ち上がらせることができる*17
 
 ここにはペトロのふたつの役割、すなわちキリストから授けられた鍵と羊の群れの世話が述べられている。「結び解き放つ」は鍵を、「癒やし立ち上がらせる」は羊飼いの役割を意味している。それゆえ、『足の不自由な人の快癒』は、羊飼いとしてペトロに与えられた治癒の力を表したものと云うことになる。この絵の題名には「美しい門の前」という言葉が加えられることもあり、神殿の美しい門の前でペトロが足の不自由な人を快癒させる場面である。足の不自由な人の快癒は『使徒言行録』(3.1~10)にその場景が述べられている。

   ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロとヨハネは一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしたちには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
 
 聖ペトロによるこの奇蹟は、先の絵と同様、ラファエッロ以前にも多く描かれた主題である。聖書においては、キリストや聖ペトロによる治癒の場面には数多くの種類があり、それらの中で、聖ペトロによる足の不自由な人を治癒する場面を特定するには、少なくともふたつのアトリビュート、すなわち美しい門もしくは足の不自由な人が持つ杖が必要である。特に初期および中世のキリスト教芸術においては、美しい門は場面を表す単なるアトリビュートとして簡素化して描かれたが、ラファエッロは、聖書が書かれた年代には存在しなかったと思われる螺旋状の円柱を効果的に描いた。これは、単なる円柱を並ばせたならば、ペトロとヨハネの頭部が作る水平線および足の不自由な人と裸の子供が作る水平線と、円柱の垂直線との交差によって、あまりに安定した構図となり、人物の動きが失われるとラファエッロは考えたのではなかろうか。
 この絵の構図は三つの空間に分けられ、左の空間は神殿に入る人の群れ、右の空間は神殿から出てくる人の群れ、そして中央の空間にはペトロによる秘蹟が描かれている。左右の空間は旧約聖書の世界を、中央の空間は新約聖書の世界を表しているが、これらの世界を分けているのは「美しい門」に並ぶ螺旋状円柱であり、この円柱に関してリチャードソンは、以下のように述べている。

   ラファエッロは神殿の美しい門にある円柱に関し、歴史的な事実から逸脱した。その像は、バビロン捕囚(紀元前582年)以後、当時のユダヤ人の宗教に決して合うものではない。そういった種類の円柱はいかなる国の古代建築においてさえ知られておらず、ラファエッロによっていとも高貴に考案された。驚くほど壮大に描かれたので、もし彼が意図して彼の自由闊達な筆によるこの作品に没頭しなかったのならば、残念な結果に終わったであろう。*18

 しかし、リチャードソンの指摘にもかかわらず、この円柱はラファエッロによって考案されたものではないと思われる。螺旋状円柱が彫られている4世紀頃の聖遺物箱(fig.20)と、315年頃の螺旋状円柱の実物(fig.21)が現存しており、これらは旧サン・ピエトロ大聖堂の遺物である。この大聖堂は、ラファエッロと深い関係があった。4世紀に建立されたこの大聖堂の改築は、1499年に教皇アレクサンデル6世が改築を発案し、1505年の秋頃教皇ユリウス2世によりその決定が行われ、1512年教皇ユリウス2世と1514年主任建築家のドナト・ブラマンテの死後、次の教皇レオ10世によって敢行された。彼はラファエッロ・サンティを主任建築士として起用したので、ラファエッロは旧サン・ピエトロ大聖堂を熟知していたことになる。とすれば、これらふたつの遺物もラファエッロにとっては馴染みあるものであったはずである。彼が「美しい門」に螺旋状円柱を描いたのは、『奇蹟の大漁』や『キリストのペトロへの啓示』においてその場面には存在しなかったローマ市内が描かれていたように、旧サン・ピエトロ大聖堂を飾っていた螺旋状円柱を描き入れることによって教皇レオ10世の正当性を示そうとしたのではなかろうか。
 神殿に入っていく左の空間に属する人々を見てみよう。すぐさま注意を引くのは、裸の子供2人と彼らに視線を向けている母親である。この母親は頭に山鳩2羽と果物の入った籠を載せ、その右手は一方の裸の子供の手を握っている。その子供は右肩に載せた棒に2羽の鳩を提げているが、これらは、旧約聖書『レビ記』(5.7)にあるように、貧しい人たちに定められた捧げ物である。他方の裸の子供は、中央の空間に円柱から顔だけを覗かせている老人の腰紐を引っ張っている。おそらく、神殿に早く入ろうと祖父と思われる老人を急き立てているのであろう。老人は杖を持つ両手の上に顔を乗せ、眼前で秘蹟を行っている聖ペトロの顔をじっと見つめている。それゆえ、母親、2人の子供、彼らの祖父は一家で神殿に来たと思われるが、左の空間の中で逆三角形の構図に配置されている。また母親の奥に一人の女性が描かれているが、突き出たお腹に右手をかばうように置いている姿から、彼女は妊婦であることがわかる。無事な出産を願って詣でてきたのであろうか。覗き込む祖父と、彼の肩を引っ張り前を覗き込もうとする男性を除いて、左の空間に属する人物たちは、聖ペトロと聖ヨハネの秘蹟に気づいてはいない。ユダヤ教の日常生活が描かれている左の空間で興味深いのは、2人の裸の子供である。螺旋状円柱にも同様に蝶を追いかけたり蔦をつかむ裸の少年が浮き彫りされているが、その動きが左空間に描かれた2人の子供とよく似ており、まるで彼らは、円柱から現れ出たかのように、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 右の空間を占める、神殿から出て行く人たちの中でまず注意を引くのは、赤子を抱えた女性であろう。額に飾りを付けていることや、その背後に侍女を従えていることから、身分の高い女性であることがわかる。『レビ記』の出産についての記述によれば、出産後清めの期間を終了した女性は、一歳の雄羊と家鳩または山鳩一羽を神殿に捧げること(『レビ記』12)と規定されているので、彼女はそれらを奉納し神殿から出てきたところであろう。その右側に左手を聖ペトロと同じように胸の前で開き、驚き凝視する男性が描かれている。この男性は、二通りの解釈があり、ひとつは兵士*19 であり、他方はこの神殿に仕えるレビ人*20 である。『民数記』(3.8)はレビ人の務めを「臨在の幕屋を警護し、幕屋の仕事をする」と述べているので、レビ人が神殿の前の「美しい門」に描かれていても不思議ではない。その下にはもうひとり足の不自由な老人がいて、逞しい両腕で杖にすがり真摯な目で聖ペテロと聖ヨハネを見つめている。母親、神殿を守る者、そして2人目の足の不自由な者も、左の空間に見られるように、逆三角形の構図に配置されている。右端の最奥列の円柱の前に、話し合う2人の人物、ひとりは背後の姿、他方は横顔だけが描かれている。『使徒言行録』(3.11~4.4)によれば、足の不自由な人の快癒後、聖ペトロと聖ヨハネは「ソロモンの回廊」で説教をする。その後、神殿守衛長のサドカイ派の人々が彼らを捕らえ、牢獄に入れたと記されているので、円柱の陰で話し合っている2人の人物は、おそらくサドカイ派の人物で、聖ペトロと聖ヨハネの言動を窺っているのだと思われる。
 中央の空間の上部には三つの常夜灯が灯され、秘蹟はその下で行われている。前に考察したふたつのCartoonsに登場する弱々しいペトロとは異なり、ここには『キリストのペトロへの啓示』でキリストより与えられたふたつの能力によって確乎たる態度を持するペトロが描かれている。聖ヨハネは金髪で、より美しく柔和な表情で、右手で足の不自由な人を指し示している。聖ペトロの左手と聖ヨハネの右手と癒やされる老人のねじ曲がった右足によって流動的な構図が与えられ、秘蹟の一瞬に動きを与えている。中央の空間で奇異と思われるのは、左右の円柱から顔だけを覗かせている3人の人物であろう。右の円柱から顔を覗かせている髭面の老人は、秘蹟を見つめるわけではなく、神殿に入っていく人々を見詰めているようだ。左の円柱には、先に述べた杖の上に両手を乗せた老人の横顔とその上部に驚いて口を開け目を見開いた半面の人物がいる。この人物を描いた意図は必ずしもはっきりとしないが、彼は真っ直ぐ前を向き、この絵を見る者へと顔を向けているので、この秘蹟の出来事に関わる登場人物ではなく、驚きの象徴として描き加えられたように思われる。その右側の額に布を巻いた人物は秘蹟が行われていることを知らず、左下方の老人を訝しがっているように思われる。
 『足の不自由な人の快癒』で先のふたつのCartoonsと決定的に異なる点は、描かれる人物の多さであろう。先のふたつの絵にはキリストおよびその弟子たちだけであったが、この絵には使徒二人と旧約聖書世界のユダヤ教を信じる多くの人々が登場する。左右の空間を占める日常生活を営むユダヤ教徒たちは、使徒二人の厳粛な姿とは異なり、実に生き生きと描かれている。先のふたつの絵は風景および動物によって与えられた現実性が、この絵ではユダヤ教徒によって与えられている。

  

                     Ⅴ.The Death of Ananias『アナニアの死』(plate.4)

 この絵には、題名が示すように、不吉さが漂っている。現存している7枚のCartoonsの中で死を主題にした絵はこの絵だけであり、それゆえ、英国においては最も不人気であったと思われる。というのも、システィーナ礼拝堂においてはこの絵のタペストリーは礼拝堂に入った場所の右に掛けられていたが、ハンプトンコートにおいては入口の上部の壁に掛けられ、その部屋の奥に行って振り返らなければ見ることはできなかったからである。しかし、『キリストのペトロへの啓示』と『足の不自由な人の快癒』へと読み解いていけば、この絵の必然性は明瞭である。前者の絵ではペトロに渡された鍵はふたつあり、「あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とキリストは述べた。つまりこのふたつの鍵は天国への、そして地獄への鍵である。さらに『足の不自由な人の快癒』では「羊飼い」としての慈愛に満ちたペトロの姿が描かれているので、『アナニアの死』では、天の懲罰としての「死」が描かれても当然のことと言えよう。とは言え、この主題はラファエッロ以前においてもあまり取り上げられなかったように思われる。僅かに見つけることができるのは、イタリアのブレーシャ県サンタ・ジュリア市立博物館所蔵の象牙製聖遺物箱の彫刻像(fig.22)*21とフィレンツェのブランカッチ礼拝堂内のマザッチョ作の壁画The Distribution of Alms and the Death of Ananias(1426-27)(fig.23)ぐらいである。前者の作品にはアナニアの死体を運び去る様子、後者の作品にはうつ伏せに倒れ死んでいる姿だけが描かれ、恐ろしい刹那の躍動感は伝わってこない。この出来事は『使徒言行録』(5:1~6)で次のように述べられている。

   ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足下に置いた。すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、精霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。
 
 美しい門のそばで不自由な足の治癒の後、ペトロは神殿に入り説教をする。その場にいた祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々によって、ペトロは議会で取り調べを受け、放免される。この絵で描かれているのはその後の出来事である。キリストを信じた人々は心を一つにし、持ち物すべてを共有していた。ところが、アナニアとその妻サフィラは信者でありながら、売った土地の代金をすべて使徒たちの足下に置かず、その一部をごまかし自らの懐に隠した。アナニアとサフィラは土地を売らなければ、また売った代金をすべて自分たちの懐に入れなければ、天の懲罰を受けることはなかった。彼らのごまかしは信者についた嘘ではなく、神にたいし向けられたものであったがゆえに、死という懲罰を受けることになったのである。
死の刹那を扱ったこの絵は、構成的に大きく三つの空間に分けられる。聖ペトロとまさに死なんとするアナニア、そしてそれを目撃している人々で構成される中央の空間と、左右の空間とである。右の空間では所有物を持ってきた人々、左の空間では貧しい人々が使徒から金銭を受け取る様子が描かれている。
 左の空間で金銭を分配している使徒は二人いるが、貧しい老人に金銭を渡している使徒は聖ヨハネであると思われる。『キリストのペトロへの啓示』と『足の不自由な人の快癒』のヨハネと同様に、その使徒はウェーブのかかった金髪で、顎髭がなく、慈愛に満ちた表情で描かれている。その左隣にいる巾着を持った使徒は『奇蹟の大漁』に登場するヨハネの弟のヤコブであろう。両手で金銭を受け取っている老人の表情は、The School of Raphaelにおいて「expectation」の項に分類されているように、期待に満ちた表情で聖ヨハネを見つめている。その背後の母娘は、その様子を関心を持って眺めている。床に跪く少年と少女は、Richard Cattermoleの指摘*22 するように、孤児であるかもしれない。彼らは、懇願する姿勢で使徒たちを見ている。絵の左上に階段が見え、そこに二人の人物、杖をつく老人と彼を支える娘が描かれているが、彼らは金銭を受け取り、階段を上って帰っていくのだろう。その出口には、この出来事全体を見つめる少年が描かれているが、この老人の孫であるかもしれない。
 右の空間には、亜麻布を担いだ二人の男性が描かれているが、彼らは自らが作った商品を共有財産として差し出すために来たのであろう。聖書に彼らの描写はないが、先に引用した『使徒言行録』(5:1~11)の最後の箇所に、「若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った」と書かれているので、ラファエッロはアナニアの死体を包む亜麻布を二人の青年に担がせることにしたのかもしれない。その背後に二人の女性がいるが、どちらもアナニアへの天罰に気づいていない。奥の女性は使徒の方を向き、その下の女性は、亜麻布を持った二人の青年の背後に隠れて、お金を数えている。この女性はアナニアの妻サフィラ*23と考えられている。『使徒言行録』(5:7)によれば、サフィラは夫の死後3時間たって現れ、夫と共謀して代金をごまかしたので、同様の運命をたどる。時系列を無視し、同一空間に描かれているが、この絵が物語絵として成立するには、この方が遙かに効果的であろう。それゆえふたつの亜麻布は、彼ら両者を包む布と解釈できるかもしれない。
 秘蹟が行われている中央の空間でまず目に留まるのは、床に倒れ、虚ろな視線を天に向けているアナニアであろう。彼はまだ完全に死んでいるわけでなく、右手の拳と左手の甲でかろうじて体を支えている。アナニアに死を下した聖ペトロは、壇上の中央に立ち厳しい表情を浮かべている。しかし、彼の視線と左手はアナニアには向けられておらず、それらの方向には、アナニアの妻でお金を数えているサフィラがいる。ペトロの右側の左手を天に向け、アナニアの死は天啓によるものであることを暗示しているのは、聖アンデレである。その背後の7人の使徒たちは特定できず、『キリストのペトロへの啓示』の使徒たちと同様に、様々な表情を浮かべ、聖ペトロの毅然とした態度とは対照的である。アナニアを見つめる4人のうち、左側の男女はその身なりからして裕福な家柄の出身者のように思われる。『使徒言行録』には、アナニアの死の記述直前にキリストを信じる人たちの共有精神について述べられた箇所があり、その箇所にレビ族の人でキプロス島生まれの裕福な家柄のヨセフ(使徒たちからはバルナバと呼ばれていた)が畑を売った代金を使徒たちの足下に置いたと(『使徒言行録』4.36~37)とあるが、バルナバは聖ステファノや聖パウロと親交があった人物であり、そこから判断するとアナニアの左側で左膝を床につき両手を開いて驚く姿に描かれている青年は、バルナバではなかろうか。キリスト教徒を迫害していたパウロの回心後、バルナバは彼を他の使徒たちに引き合わせたことがあるのだが、『アナニアの死』の絵をもってペトロ・サークルは閉じ、パウロ・サークルへと移行することを考えると、この最後の絵に次のサークルへの橋渡しとなるバルナバが描かれていても不思議ではない。彼の左側にいる女性は今にも逃げ出す姿勢を取っているが、視線はアナニアへと向けられている。右側の男性二人のうち一方は、左手を天に向け、アナニアの死が天罰であることを示している。他方の男性は、『奇蹟の大漁』と『キリストのペトロへの啓示』のアンデレ、そして『足の不自由な人の快癒』のレビ人と同じく、両手を広げ、驚きを表している。左右の空間に描かれた人物たちや聖ペトロ以外の使徒たちは、アナニアの死を述べた『使徒言行録』(5:1~6)には登場していない。ラファエッロはこの絵の主題であるアナニアの死に、『使徒言行録』の時間的に異なる前後の出来事を描き加えることによって、この主題を効果的に物語絵にしたように思われる。
 全体的な視点から見れば、ラファエッロはペトロ・サークルが一つの物語絵になるように主題を選んだ。『奇蹟の大漁』においてはペトロの招聘、『キリストのペトロへの啓示』においてはペトロへのふたつの力の付与、『足の不自由な人の快癒』と『アナニアの死』においては、それらの力の行使というように、物語は進展する。各々のCartoonに関しては、彼は、聖書の中に描かれた様々な出来事を切り離し、彼の想像力の中で物語絵を効果的ならしめるために、それらを自由に結びつけたのである。さらにそれぞれの絵が物語絵となるように、各中心的主題の奇蹟の周辺に、聖書の中に述べられていない情景や時空列を無視した場面を描き入れた。『奇蹟の大漁』ではイスラエルのガリラヤ湖畔にローマ市内が、『キリストのペトロへの啓示』では遠景の丘に牧歌的な情景とローマ市内が描き込まれている。『足の不自由な人の快癒』と『アナニアの死』ではローマ市内は描かれていないものの、ユダヤ教を信じる人々の日常生活が生き生きと描かれている。これらはラファエッロの独創によるもので、中心的主題を浮かび上がらせ、物語絵を効果的に構成する役割を果たしている。おそらくCartoonsを中心に考えると、ラファエッロの特色である物語絵は、中心的主題である奇蹟の扱いよりは、むしろその周辺の場景の創意工夫にこそ画家の真骨頂が覗えるように思われる。

 

*1 The Spectator, No.226, November 19, 1711
*2 The Raphael Cartoons (V & A, 1972)
   Sharon Fremor, The Raphael Tapestry Cartoons (V & A, 1996)
   Raphael Cartoons and Tapestries for the Sistine Chapel (V & A, 2010)
*3 聖書の引用はすべて新共同訳を使わせていただくことにした。
*4 Carl Gustaf Stridbeck, Raphael Studies,Ⅱ.Raphael and Tradition, (Almqvist & Wiksell, 1963), p.53
*5 ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』(白水社、2004)、p.204
*6 John Shearman, Raphael's Cartoons in the Collection of Her Majesty the Queen and theTapestries for the Sistine Chapel, (Phaidon Press, 1972), p.51
*7 Jonathan Richardson, An Essay on the Theory of Painting(1715年),p.51
*8 ibid.,p.50
*9 レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵の中でキリストが登場する絵は少なくとも二つある。一つは人口に膾炙するThe Last Supper(1498年)、もう一つはSalvator Mundi(1500年頃)であるが、どちらもキリストの横顔は描かれていない。Morgenが模倣した作品は別作品と思われる。
*10 John Shearman, Raphael's Cartoons in the Collection of Her Majesty the Queen and theTapestries for the Sistine Chapel (Phaidon Press,1972), p.50
*11 G.F.Hill, The Medallic Portraits of Christ (Oxford,1920)にはさらに多くのキリストを模ったメダルが上げられている。
*12 Prayers And Meditations of St. Anselm with The Proslogion St. Anselm (Penguin Books,1973), p.13

*13 Jonathan Richardson, An Essay on the Theory of Painting (1715), p.69
その後現在に至るまで、この点は解明されていない。
*14 ibid. .170
*15 Richard Cattermole,TheBook of Raphael's Cartoons (1845), p.72
*16 Carl Gustaf Stridbeck, Raphael Studies,Ⅱ.Raphael and Tradition ,(Almqvist & Wiksell,1963), p.61
*17 The Prayers and Meditations of Saint Anselm with the Proslogion, Translated and with an introduction by 
Benedicta Ward, with a foreward by R. W. Southern 
(Penguin Books,1973), p.135
*18 Jonathan Richardson, An Essay on the Theory of Painting, 1715, p.52
*19 Richard Henry Smith Jun., Expositions of the Cartoons of Raphael (1860), p.36
*20 Richard Cattermole, The Book of Raphael's Cartoons (1845), p.91
*21 この聖遺物箱には36もの彫刻像があり、4世紀後半期初期キリスト教時代に作られたといわれている。
*22 Richard Cattermole, The Book of Raphael's Cartoons (1845), pp.116-117
*23 ibid., p.115

 

 

関連サイト

The Spectator, No.226, November 19, 1711

・G.F.Hill, The Medallic Portraits of Christ 

・Richard Cattermole,TheBook of Raphael's Cartoons 

・Richard Henry Smith Jun., Expositions of the Cartoons of Raphael 


 

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